田中
本日はよろしくお願します。
まずは、生年月日と出身地をお願いします。

河原氏
昭和36年10月16日岡垣町で生まれました。
ずーっと高校時代まで岡垣町で育ちました。

田中
子供の頃の好きな科目はまた、熱中したことは?

河原氏
体育が好きでした。
将来は体育の先生になるのが夢でしたから、中学校の頃は体操部に入りたくて、でも、体操部の先生が私が入ったときに辞めて、廃部になったものですから出来なくてそれで、担任の

先生からバレー部に入らんかと言われ、入部して中学、高校とず〜とバレーをやっていました。

ここは漁師の街でしたので子供の頃は、海ばかり行っていました。
特に夏には毎日よく海に潜ったり、釣りをしたりと毎日遅くまで遊んでいました。だから、いつも夏の間は真っ黒でしたね。

田中
パティシエを目指したきっかけは?

河原氏
体育の教師を目指しましたが、体育大学を諦め、第二の目標である調理師になるためにコックを目指し、
大阪の日本調理士学校に入学しました。
学校では和食、中華、洋食全部習いました。どれも作るのが楽しくて、将来の夢を描くようになったのを憶えています。
でもその中で、いちばん面白かったのがお菓子だったんです。
お菓子って本当に奥が深いです。それが、きっかけで、この道を進みたいと思いました。

田中
修業はどこでされたんですか?

河原氏
卒業して福岡の「赤い風船」に入りました。その後、「博多全日空ホテル」に入り、神奈川のドイツ菓子の名店の「バッハマン」。
東京銀座の「東武ホテル」それで、福岡に帰ってきて「ホテル日航福岡」、最後に飯塚市にある杉岡オーナーの「セゾン」です。
トータルしたら12年間修業しました。

いろんなところで修業させていただき、大変勉強になりました。
将来自分のお店や自分なりのお菓子の思いを描いたりと、ワクワクしながら過ごした修業時代でした。

田中
将来の自分を思い描くって目標にもなりますね。それでは、修業時代はどうでした?

河原氏
そうですね。
神奈川のドイツ菓子の名店の「バッハマン」は厳しかったですね。「バッハマン」のほとんどの人がお菓子屋の息子が多かったんです。
いろんな事を覚えるのが大変だったですが、私自身、どん欲にいろんな事を覚えたい一心ですから、自分が納得するまで聞いたり、
自分自身で勉強したりと少しずつですが職人としての技や自覚が備わってきたと思います。

でも、修業時代は楽しいことも多かったですね。
仕事時間も長かったですけど、いちばんの勉強になりましたから、個人店だったから身近でいろんな事を学びました。
それで、また違った意味でホテルの修業は楽しかったですね。
ホテルはいろんなセクションがありいろんな人との交流がありますから、幅があるっていうか、個人店とは違った意味でトータル的に勉強になりました。

休みの日はリフレッシュの意味で映画ばかり行っていました。映画が好きなんですよ。特に洋画が大好きですね。

田中
お店を出そうと決心したのはいつごろでしょうか?

河原氏
ホテル日航福岡の時ですね。
その時にですね、ホテルも長かったんですけどホテルのシェフにならんかと言われましてね。
でも、ホテルのシェフになってもトップじゃないんですよ。

気持ちとしては自分のお店を持ちたいと思っていましたから、その時に決意しました。
そこでホテルでの経験が長かったのでもう一度、個人店に行こうということで、福岡県飯塚市の「セゾン」にお世話になりました。

私の先輩でもあるし、赤い風船や全日空ホテルでも一緒でしたので、お店を出す心の準備は出来てはいましたが、お店のノウハウをもう一度習いたいと思いセゾンさんにお願いしました。

田中
最後の「セゾン」さんを経てお店を出されたんですね?この場所に決められたのは?

河原氏
店を出すなら岡垣と決めていました。場所をいろいろ探しましたね。
遠賀郡では少ないケーキ屋さんですし、何より岡垣が好きでしたから地元でと決めていました。
たまたま近くの不動産から「この辺に一階がテナントのビルが建つよ」と言われ、それで話を聞いてここしかないと決めました。

田中
お店のハイデルベルグの由来は?

河原氏
由来はですね。「バッハマン」の時にハイデルベルグと云うお菓子があったんです。
名前も好きでしたし、そのケーキも好きだったから是非ともこの名前を使いたいと思いました。
ハイデルベルグはドイツの地方の名前で、本当は「ク」なんですが、でもハイデルベルグの方が言い易いのでハイデルベルグにしました。

田中
お店をオープンされて何年でしょうか?また、オープン当時の話をお聞かせください。

河原氏
オープンして13年になります。私の修業時代と同じ位の年数がた経ちました。

オープン当時は、シュークリームはどこでもありますから、違うもので勝負をしたかったんです。
うちでは「岡垣クーヘン」という商品がありますけど、それをとにかく売りたいと思っていましたが、なかなか最初のうちは売れませんでした。
きっかけはあるテレビで取り上げられて、それからですね。ぐーっと伸びたんです。

私としては自信作です。スポンジの中にカスタードクリームが入ったパフケーキです。
うちはシュークリームがないんですが、その代わりパイシューは置いております。今はおかげさまで、一日400個から500個は出ております。

田中
お客様にアピールしたいことは?

河原氏
お客様の嗜好はさまざまですけど、お菓子はあまり甘くなりすぎてもいけませんので、うちでは甘さ控えめで作っております。味に関しては常に心がけております。でも、必ず一品だけは、必ず甘いお菓子を置いてます。
味覚はそれぞれ違いますから、甘いのがいいと言うお客様もいらっしゃいますから。

ケーキ屋さんと言ったら買いに来るお客様はやはり生菓子が圧倒的に多いので、
焼き菓子をもっと知って頂きたいですね。

焼き菓子ギフトに関しては、お客様のご要望に応じて対応できます。

田中
今後、お客様に食べていただきたいお菓子などありますか?

河原氏

うちには、ナッツ系のお菓子が少ないので、和をベースにナッツを使ったお菓子を作っていきたいです。これからですね。

田中
菓子職人にとって大切な事とは何でしょうか?

河原氏
まずは、基本。基本を大切にという事です。基本からはずれると違うケーキが出来ます。
こうやったら出来るかなって思っても出来ない場合が多いですね。
基本があったら応用も出来るし、思ったとおりに出来ますし、教わる所で基本は違うと思うんですけど、トータルすると同じだと思います。

田中
これから菓子職人になりたいと思っている人に何かアドバイスがあればお願いします。

河原氏
これだけ、ケーキ屋さんが多くなれば、大変でしょうけど人と違う事をやりなさいという事でしょうか。
そこまで行くにはまず、先程言った基本が前提です。
生き残るには、やっぱり違う事をしないといけないでしょうね。
岡垣町には、うちと大手さんの2件ですから、でも、今の時代は安穏としていられないのでお客様に飽きられないようにしないと
いけないですね。

田中
本日はありがとうございました。