松尾氏
僕はこの世界を全然知らなくて、甘い物も特別食べていたわけじゃないんです。
高校卒業後に大学進学を目指していたんですけど、将来の事をいろいろ考えていて仕事をしてみたいと思って2年ほど色んな仕事の手伝いをやっていたんです。
そんな中で自分はなにをしたらいいのかと悩んでいました。
それで、人手が足りないと知り合いから紹介されたのが、たまたま熊本の洋菓子店さんだったんです。
それでやっていく内にだんだん洋菓子にのめり込んでいって、約4年間お世話になりました。
田中
そこで4年間されて、それからは?
松尾氏
もう本格的にどっぷりとお菓子の世界に入ってしまいました。
それで、僕はフランスのお菓子を作っているのに、フランスを知らないと、フランスのお菓子を見てみたいと思いました。
それが3年目に入る前でした。
田中
それで、フランスに行ってみたいと?
松尾氏
そうですね。1年間は、言葉の勉強なり貯金などで準備期間をおいてそれから行きました。
フランスにはあても何もなかったので、まず探さないといけないのが住む所でした。
田中
普通は誰かの紹介とかで行かれる事が多いですよね。
松尾氏
そうなんですよね。
熊本にフランスを知っている人が1人いらっしゃったんですけど、みんな東京に修業に行った人が行くというのがほとんどだったので、
結局、僕は情報がないまま行ったんです。
だから、最初は住む所を探しました。たまたま大家さんがラーメン屋さんでしたので、そこでアルバイトして大家さんの所に部屋を
借りていました。
田中
フランスにもラーメン屋ってあるんですね。
でも、フランスにはお菓子の勉強で行かれたんですよね。それからは?
松尾氏
それで、ラーメン屋でアルバイトをしながらケーキ屋を食べ歩いて、自分の行きたい所に飛び込みで「社長を呼んで下さい」みたいな感じで。
イエス・ノーで答えられる質問をぶつけて、するとたまたまそこに日本人がいて「いいよ」とそんな感じでした。
フランスはパリのお菓子屋さんで今は、もうないんですけど「モデュイ」というお店でした。
そこには8ヶ月お世話になりました。
あと「デグランジュ」というお店や、「ストーレー」というお店にお世話になりました。
結局フランスに3年間居ました。
田中
一通り出来る状態でフランスに行かれて、どうでしたか?
松尾氏
最初行った時には、正直、日本の方が手が込んでるし綺麗だしと思っていたんですが、それが2年経ったくらいの時に分かったというか、
お菓子というのはフランスの文化のひとつなんですね。
コーヒーを飲んだり、ごはんを食べるのと同じで、「あぁ文化なんだ」と思いました。
だから「日本の方がいいや」とか、そういうレベルの話じゃないと、もっと根深いというか、みんなに愛されていると思いました。
綺麗さや技術は日本にいても習得できると思うんですけど、そこじゃない部分の勉強が大きいと思いました。
それとフランスは素材や材料が多くあるので、日本に入って来る物よりは香りもいいですし、そういう面は全然違うと思いました。
言葉に関しても、やっぱりしゃべれないとダメですね。
「アジア人は嫌いだ」、そんな態度をハッキリ取る人もいますし、しゃべってコミュニケーション取るとすごく仲良くなれるんですけどね。
だから言葉が一番じゃないですかね、非常に大事だと思いました。
だから、結局フランスでは文化やお菓子が生活の一部である事を学べたという事の方が、技術とかそういうのより大きいですね。
田中
フランスのその後は?
松尾氏
その後、帰国して東京ですね。
フランスから帰ってきて、鍛えなおそうと思い、それも飛び込みで行ったんです。
それで東京の「シェ・シーマ」というお店に3年お世話になりました。
田中
フランスから帰ってきて、東京に行かれたのは?
松尾氏
やっぱりフランスで修行して、レベルも上がって、もっと上に行きたいと思い、結構フランスには東京から来ている人が多くて、
その人たちはある程度、修業を積んでから来ているので、そういう人たちとやっていく中で「東京の人たちはレベル高いなぁ」と思っていました。
だから、僕も東京に行かなければいけないなと思い東京に行ったんです。
田中
東京のケーキ屋さんはどうですか?
松尾氏
そうですね。綺麗というか地方に比べると味は濃いですね。
シェフメイン、お店メインというか、そんな感じなので独自性を持っていないといけないので、結構ハッキリした味を出してきてますね。
田中
シェ・シーマで3年されて、その中でやはり熊本でお店を出したいという想いはあったんですか?
松尾氏
そうですね。最初からそのつもりでいたので、
ただそれが"いつやるのか"は悩んでいたところです。
本当はもう少し、東京でシェフをやってから帰って来たかったというのは正直なところです。
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