田中
本日はよろしくお願します。
まずは、生年月日とご出身地をお願いします。
また、子供の頃、熱中した事や趣味はありましたか?

松尾氏
1973年12月4日生まれ熊本市出身です。
魚釣りです。うちの家族も好きでしたね。
小学校の時はいつも川釣りに行っていたと思います。

また、中学から高校までサッカー部で鍛えられました。

田中
ではパティシエを志したきっかけとかは?

松尾氏
僕はこの世界を全然知らなくて、甘い物も特別食べていたわけじゃないんです。
高校卒業後に大学進学を目指していたんですけど、将来の事をいろいろ考えていて仕事をしてみたいと思って2年ほど色んな仕事の手伝いをやっていたんです。
そんな中で自分はなにをしたらいいのかと悩んでいました。

それで、人手が足りないと知り合いから紹介されたのが、たまたま熊本の洋菓子店さんだったんです。
それでやっていく内にだんだん洋菓子にのめり込んでいって、約4年間お世話になりました。

田中
そこで4年間されて、それからは?

松尾氏
もう本格的にどっぷりとお菓子の世界に入ってしまいました。
それで、僕はフランスのお菓子を作っているのに、フランスを知らないと、フランスのお菓子を見てみたいと思いました。
それが3年目に入る前でした。

田中
それで、フランスに行ってみたいと?

松尾氏
そうですね。1年間は、言葉の勉強なり貯金などで準備期間をおいてそれから行きました。
フランスにはあても何もなかったので、まず探さないといけないのが住む所でした。

田中
普通は誰かの紹介とかで行かれる事が多いですよね。

松尾氏
そうなんですよね。
熊本にフランスを知っている人が1人いらっしゃったんですけど、みんな東京に修業に行った人が行くというのがほとんどだったので、
結局、僕は情報がないまま行ったんです。
だから、最初は住む所を探しました。たまたま大家さんがラーメン屋さんでしたので、そこでアルバイトして大家さんの所に部屋を
借りていました。

田中
フランスにもラーメン屋ってあるんですね。
でも、フランスにはお菓子の勉強で行かれたんですよね。それからは?

松尾氏
それで、ラーメン屋でアルバイトをしながらケーキ屋を食べ歩いて、自分の行きたい所に飛び込みで「社長を呼んで下さい」みたいな感じで。
イエス・ノーで答えられる質問をぶつけて、するとたまたまそこに日本人がいて「いいよ」とそんな感じでした。
フランスはパリのお菓子屋さんで今は、もうないんですけど「モデュイ」というお店でした。
そこには8ヶ月お世話になりました。

あと「デグランジュ」というお店や、「ストーレー」というお店にお世話になりました。
結局フランスに3年間居ました。

田中
一通り出来る状態でフランスに行かれて、どうでしたか?

松尾氏
最初行った時には、正直、日本の方が手が込んでるし綺麗だしと思っていたんですが、それが2年経ったくらいの時に分かったというか、
お菓子というのはフランスの文化のひとつなんですね。
コーヒーを飲んだり、ごはんを食べるのと同じで、「あぁ文化なんだ」と思いました。

だから「日本の方がいいや」とか、そういうレベルの話じゃないと、もっと根深いというか、みんなに愛されていると思いました。
綺麗さや技術は日本にいても習得できると思うんですけど、そこじゃない部分の勉強が大きいと思いました。
それとフランスは素材や材料が多くあるので、日本に入って来る物よりは香りもいいですし、そういう面は全然違うと思いました。

言葉に関しても、やっぱりしゃべれないとダメですね。
「アジア人は嫌いだ」、そんな態度をハッキリ取る人もいますし、しゃべってコミュニケーション取るとすごく仲良くなれるんですけどね。
だから言葉が一番じゃないですかね、非常に大事だと思いました。

だから、結局フランスでは文化やお菓子が生活の一部である事を学べたという事の方が、技術とかそういうのより大きいですね。

田中
フランスのその後は?

松尾氏
その後、帰国して東京ですね。
フランスから帰ってきて、鍛えなおそうと思い、それも飛び込みで行ったんです。
それで東京の「シェ・シーマ」というお店に3年お世話になりました。

田中
フランスから帰ってきて、東京に行かれたのは?

松尾氏
やっぱりフランスで修行して、レベルも上がって、もっと上に行きたいと思い、結構フランスには東京から来ている人が多くて、
その人たちはある程度、修業を積んでから来ているので、そういう人たちとやっていく中で「東京の人たちはレベル高いなぁ」と思っていました。
だから、僕も東京に行かなければいけないなと思い東京に行ったんです。

田中
東京のケーキ屋さんはどうですか?

松尾氏
そうですね。綺麗というか地方に比べると味は濃いですね。
シェフメイン、お店メインというか、そんな感じなので独自性を持っていないといけないので、結構ハッキリした味を出してきてますね。

田中
シェ・シーマで3年されて、その中でやはり熊本でお店を出したいという想いはあったんですか?

松尾氏
そうですね。最初からそのつもりでいたので、
ただそれが"いつやるのか"は悩んでいたところです。
本当はもう少し、東京でシェフをやってから帰って来たかったというのは正直なところです。

田中
それで、熊本に帰られてオープンですね。この場所に決められたのは?

松尾氏
建物はこの場所にあり、ちょっと改装した程度でした。
ここはうちの父が貸しホールとして使って頂いていた所なんです。

田中
そうなんですか。
では、オープンした年は何年ですか?また、何人からのスタートでした?

松尾氏
厨房が3人です。
スタッフは兄弟で、私と兄と姉がメインで後はパートさんが売り場に入るという形です。

田中
どうでしたオープンの時は?

松尾氏
何件かオープンの手伝いをしてきて、並んだりしているじゃないですか。
今までの経験で、たくさん用意したんですけど、現実はそうは簡単には行かなかったですね。
思っていたよりも少なかったのを覚えています。
突然、お店を出して知名度もないですし、ただ新しくオープンだけではダメだなと思いました。

田中
新規オープンは本当に難しいですね。その後は?

松尾氏
その後は、幸い一年一年右肩上がりになってはいます。
お陰さまで、今では地域の方々に、お店を知って頂き、ありがたく思っています。

田中
お店の「ビジュー」という名前は?

松尾氏
フランス語で「宝石」という意味です。
宝石というのは原石を磨いて手をかけてあれだけ綺麗な物にしていく、僕たちも原材料、牛乳や粉、卵とか、そういうのを使って
お菓子が出来る。
手間隙かけて少しずつ輝きを持つような、お店作りにしてもそうなっていきたいという意味を込めて「ビジュー」という名前にしました。

田中
オープンの時はメインの商品とかはありました?

松尾氏
オープン当時からマカロンですね。
今でこそマカロンという名前は皆さん知っていらっしゃいますが、最初は「これは何ですか」という
感じでした。
あと、シュークリームもオープン当初からやっております。
カリカリッとした食感を残したいので、ふつうのシュー皮に別にしこんだ生地を貼り付けて焼いて、
カリッとなるように仕上げています。

僕は自分が気に入るものを作って、売れれば良いと思いますけど、それよりお客様が欲しいもの、食べたいものを作って喜ばれる方がいいと思いますね。
本当にお客様あっての僕たちなので、一番喜んでもらえるものを提供したいと思います。


田中
菓子職人にとって大切な事は。

松尾氏
やっぱり熱意ですね。
自分が良い物を作ろう、自分は出来るんだ、というのだけではなくて作って食べて頂ける相手様の喜ぶ顔、そこまで感じきれるようになったら良いと思います。
修業時代は難しいと思いますけど、作るだけじゃない、食べて頂くまでが私たちの仕事で、そこまで出来て終了なんです。

後は何の職業にしても、情熱と夢が大切な所だと思います。

田中
これから菓子職人になろうとしている人にアドバイスを。

松尾氏
結構過酷だと思うんです。
労働時間も長いですし休みも少ない、だからやっぱり「夢とか目標」もっていないと、それを達成するための努力が出来るかどうかだと
思います。

頑張れば誰だって技術は身に付くと思いますので、努力がないといけないと思います。
仕事の前に、やる気と情熱を持つことです。

田中
本日はありがとうございました。