田中
本日はよろしくお願します。
まずは、生年月日とご出身地をお願いします。
また、子供の頃、好きな勉強の科目とか、どんな事に熱中していましたか?

西村氏
1971年11月1日、北九州市八幡西区生まれです。
小学校から高校までは算数、数学が好きでしたね。
公式を覚えるのが好きで、それによって問題を解決できるところが好きですね。

あとは、小学校2年生の時に友達と一緒にボーイスカウトに参加し、中学2年生まで活動していました。
その頃は、ボーイスカウトに参加する人が結構多かったと

思います。休みの日には駅の清掃活動などしましたね。

中学ではバレーボール部に所属し、レギュラーになって、土日の練習がボーイスカウトの活動と重なったものですから、
バレーボールに集中する為に、中学2年生の時にボーイスカウトは辞めました。それからはスポーツの毎日でした。

田中
お菓子の事を意識し始めたのはいつ頃ですか?

西村氏
そうですね。
一番影響を受けたのは、父ですね。
父がパンとケーキのお店をしていたものですから、子供の時から見て育って、私の誕生日ケーキとかに、オリジナルのケーキを作って
くれたんですよ。2代目、3代目の方は小さい時から見て育っているんで、この道に進む人が多いと思いますね。

田中
それでは、高校を卒業されてすぐ修業に行かれたんですか?

西村氏
そうです。
最初は久留米の「ブラッツェル」に父の紹介で行かせて頂いて、2年間くらいお世話になりました。
何も分からないところから入りましたので、いろんな面で勉強になりました。

田中
その後はどちらに行かれたんですか?

西村氏
その後、知り合いの方から東京の洋菓子屋さんが募集しているから行かないかという誘いを受けましたので、
そのままスポーツバックひとつ持って東京の「イル・プルー・シュル・ラ・セーヌ」で1年間お世話になり、
そこにいらっしゃった、スーシェフが岡山に「スーリィ・ラ・セーヌ」というお店を出すことになり、立ち上げから携わり4年間修業を積みました。

田中
今まで、トータルして7年間くらい修業を積まれる訳ですが、その後は?

西村氏
それから、北九州に帰って実家を手伝うわけですが、その時にはすごく腕に自信はあったんです。
でも、父が作ったケーキは売れるんですけど、正直、私が作ったケーキは地元のお客様にはあまり受け入れてもらえませんでした。

技術的にはひと通り作れるんですけど、自分を見つめなおす為と、技術向上のためにフランスはパリのジャン・ミエ氏のお店で勉強させて頂きました。

田中
フランスから帰られて、実家のお店に入られるわけですか?

西村氏
父が「お前が店を出すなら今の店を閉めてお前に任せる」と言ってもらったんで、オープンする時には洋菓子専門店として、
私がお店を出す事になりました。
まず、父がやっていたお店には駐車場がなかったものですから、駐車場がある物件を探したんです。
前のお店からは約15分くらいの場所で現在のお店でオープンする事ができました。
とにかく、イル・プルー・シュル・ラ・セーヌ当時、ケーキやお菓子はすごい温度管理だったり、
ケーキを作るにしても、カルチャショックを受けるような作り方だったんです。
そんな事で、「イル・プルー・シュル・ラ・セーヌ」や「スーリィ・ラ・セーヌ」での勉強が私のお菓子作りの基礎になりました。

田中
独立を考えられたのはいくつの頃でしょうか?
また、駐車場がある物件ということでこちらでオープンされたんですね。

西村氏
そうですね。本当に独立を考えたのは20代後半位ですね。
なかなか個人店で定年まで居るというのは難しいので、お店を出す事が目標となります。
それからお店を出す為にどのようなお店にしたいとか考えました。
また、お店の場所としては、この地域が開けてたという事もあって、名前が売れていたら少しは奥まっている所でもいいのでしょうが、
新規にお店をオープンするためには、名前も当然お客様は知らないだろうし、やはり道路沿いがお店として目立つと思ったので
ここに決めました。

田中
オープンされたのはいくつの頃でしょうか?
また、オープン時は何名から始められたんですか?

西村氏
2002年6月20日、30歳の時ですね。
オープン時は、父、母の家族だけでした。
姉とか妹も手伝いに来てくれて、あとはアルバイトの娘が居たくらいでした。
製造に関しては、ほとんど自分ひとりで作っていたので、初めの1年くらいは風呂に帰るくらいで、お店で仮眠する程度でした。
それから、徐々にスタッフを増やしていきました。

田中
お店の名前を付けるときに「パティスリーヒロ」に決められたのは?

西村氏
正直言うと初めはフランス語の名前にしょうと思ったんです。
しかし、フランス語だと覚えにくいんで、また、日本語だと和菓子屋さんぽくなるんで、自分の名前「和浩、かずひろ」から取って、誰からも覚えて頂ける様に「パティスリーヒロ」にしました。

田中
菓子職人にとって大切な事は。

西村氏
一番大切なのは、コンスタントに仕事をする事。
お客様がいつ来られても、わくわくした気持ちになれる。美味しいは当然な事。
10回に1回でも美味しいと感じて頂けなかったら、もう来て頂けないんで、「コンスタントな仕事」これが一番大切な事と思います。
その為に今でも、いろんな講習会があれば極力参加したりして、
技術向上のために勉強しています。
古き良き時代のケーキもいいんですけど、新しい技術や材料なども取り入れながら作っています。

田中
これから菓子職人になろうとしている人にアドバイスを。


西村氏
忍耐力、素直さがあれば何とかなるんで、技術的な特別の才能とかは必要ないと思います。
難しく考えなくていいと思います。
手先が器用とか関係なく毎日やっていたら作れるようになります。
技術的に作れるようになるまで、個人的にはその人の頑張りもあるとは思いますが
5年くらいには、ある程度出来るようになります。
それまでに辞めていく人が多いのも事実ですね。
これから伸びるという時にその壁を乗り越えられないと、どんな仕事をしても厳しいと思います。

でも将来、自分でお店を持つことを考えたら、いろんな引き出しが必要になってきます。
パティシエになるんだったら3年〜5年の期間でいいとは思いますが、いざ商売、お店を出すとなると3年〜5年では短すぎると思います。
私がお店を出す時、あるシェフから言われた事は、いろんな勉強をして30歳過ぎて店を出しなさいと言われました。

技術以外にも多くの事を勉強しなければいけない。接客や経営面でもそうですし、人間的にも成長しなければうまく行かないと思います。
私も30歳でお店を出しましたが、それでも全然勉強が足りないと思いましたし、人から聞いていた話と自分が実際お店を出してみたら全然違ったんですね。

やはり早い子では16歳や17、18歳でお店に入ったりします。
一番辛いと思うのは休みが、みんなと一緒じゃなくて、土日が忙しく休みがない。
でも、私達がケーキ屋さんで修業していた時と比べたら労働時間も短くなってきているし、条件面も上がっていると思います。
それでも休みに関してはかわいそうとは思いますね。
本当に目標を持って今しか出来ない事を一生懸命にやって頂きたいですね。

田中
本日はありがとうございました。