田中
生年月日と出身地をお教えください。
また、子供の頃はどんな事に熱中していましたか?

犬丸氏
昭和42年12月5日です。出身は田川の福地町ですね。
そうですね、子供の頃はいつも外で友達とケンカばっかりしていましたね。(笑)
イタズラみたいなことばっかりしてて、それで家が酒屋をやっていたんですが、友達と遊ばない時はそこでおじさんたちと一緒に騒ぎながら遊んでました。
楽しかったですね、社会勉強を早くからさせてもらって。

田中
パテェシエを目指した、志したきっかけは?


犬丸氏

ハッキリ言うと高校からなんですけれど、子供の頃から、食の道と言うか、料理人になりたいとずっと思っていました。
本当は高校も行く気がなくて、中学を卒業したらすぐに修業に行きたいと思っていたのですが、先生や両親から
「高校だけは行っておきなさい」と言われまして。
だから高校入って最初の頃は、友達といるのも楽しかったですけど、やっぱり辞めたい気持ちがありました。
だけどそんな時、友達がバンド活動なんかに誘ってくれたりして、高校生活も楽しくなってきて、「この高校生活で、もう一度しっかり進路を考えてみよう」と思うようになったんです。

そして進路指導の先生がとても僕のことを可愛がってくれていまして、その先生と話をしている時に、製菓学校のパンフレットを僕に見せてくれたんです。
そのパンフのケーキを見てすごく綺麗だなと思いました。当時、田川にはパティスリーと呼べるお店が一件くらいしかなくて、自分としては興味がわくようなケーキを見たことがなかったので、それを見た時に「もうこれしかない」と思いました。
その日のうちに父親に学校に行かせてくれとお願いしました。でも、大反対でした。

田中
それで高校を卒業されて、結局は学校に行かれるわけですか?

犬丸氏
はいそうですね。そこで1年間学んで、それから大阪のお店に就職させてもらって、
帰ってきてからチョコレートショップさんにお世話になりました。

田中
なるほど‥‥卒業されて行かれたお店というのは、洋菓子店ですか?

犬丸氏
はい、今はもうお店もなくて、半年ぐらいしかいられなかったんですけど。祖母の体調が悪くなって、それで帰ってくることになりまして。
その時にチョコレートショップさんの話を父親や回りの友人から聞いて行ってみると、ケーキの美味しさ、お客様へのおもてなし、
これがケーキ屋さんなんだと思いました。
前の所は工場勤務で、お客様の顔も見えなかったので「こういうお店に行きたい!」と、そこからですよね。

田中
本格的な修業とかもですね。何歳ぐらいだったんですか?

犬丸氏
えー、19才ですね。

田中
となると、まだチョコレートショップさんが店屋町にあった頃ですね。色んな雑誌で紹介されていましたね。

犬丸氏
そうですね。佐野さんにはまず礼儀を教わりました。キチッとできる事で相手の反応が違ってきて、
挨拶っていうのはやっぱり大事なんだなと思いました。

田中
まず礼儀の基本から全て、それが原点ですね。

犬丸氏
はい!本当に原点ですね。
それで、その頃は佐野シェフのお父様が現役で、チョコレートを作る作業を一緒にさせて頂いてて、
材料に対する考え方と姿勢を教えて頂きました。
もう20年前ですね、チョコレートショップさんには4年間御世話になりました。
そのあと、小倉のイタリア料理のお店に行って、イタリアのお菓子や、デセール、ソルべとか、アイスクリームを重点的に勉強しました。

田中
それからお店を出したのですか?

犬丸氏
その時25才くらいだったんですけど、はじめは大阪に行くつもりでした。
でも、田川の立地のいい場所にテナントをもっている親友のお父さんがいて、
「いろんな所から貸してくれと話が来ているが、どうしても知らない人には貸したくない、おまえは昔から夢をもっているから、おまえだったら貸すよ。」と言われまして、お金ないしどうしようかなーと、思っていたんですけど、色んな業者さんや建築関係の友人もお金の面は相談に乗るよと言ってもらいまして、じゃあ体が一番元気なうちにやるのもいいかなー。と思ってあまり深く考えずに出しました。

田中
お店の場所はこの場所ですか?

犬丸氏
いえ、少し行った所に商店街があるんですが、その横に田川のメインストリートがあって、そこに2件分テナントがあって、
その半分を借りてお店を出しました。
その頃は本当に自信満々でした。絶対売れると思ってましたし、正直浅はかでしたね。

田中
オープンされてどうでした?

犬丸氏
当時は、妹と2人でお店をやっていたんですけど、もちろん最初は知り合いがたくさんいる街なので、ご祝儀でたくさん来て頂きました。
10月後半にお店をオープンして、クリスマス、冬の繁忙期までは良かったんですけど、夏になってきたら驚くぐらい売れなくなりまして。
何だかもうわけがわからなかったですね。何で売れないんだろうと・・。

秋の支払いが出来なくなるぐらい、夏になると売れなくなる。そんな状態が8年くらい続きました。そういう悶々とした日々が続いて、とても恥ずかしくて佐野シェフにも相談もできなくて、そんな中で結婚したんですけれど、もう本当にお店をたたむぐらい先が全然みえなかったです。

その時に佐野シェフから「出てこい」と言われまして、多分どこからか噂をきかれたんだと思います。
すごく説教されるんだろうなと思って、覚悟して行ったんですけど、僕の話をずーっとゆっくり聞いてもらって、
「何が悪いと思う?」と聞かれて「おまえお客様のこと考えてないだろ」と言われて、その時はじめて分かりました。

俺には腕があると思ってた。そう言えば接客なんてまともにやった事もなかった。全部妹まかせでした。
もう一回原点に戻らなければいけない。そう思って、チョコレートショップさんの若手の皆んなにまぜてもらって、厨房で研修させてもらいました。
チョコレートショップの若手のメンバーのひたむきな姿を見て、自分はどれだけ甘えていたのだろうと思って、地元に甘えて、友達に甘えて、親に甘えて、そして妻にまで甘えている。本当にこのままじゃいけないなと思いました。

それで何とかしようと、それでまた佐野シェフが色んなヒントをくれるんですよね。
「ああしろ、こうしろ」とは一切言われなくて、「こういうやり方もあるな」みたいな感じで、それを自分なりに解釈して、それで家族で話し合ってやってきた結果がここまでこれました。
今でもそうです。いつもいろんなヒントをくれます。本当にありがたいです。

田中
それでは、8年間はその厳しい状況で、そこからだんだんと開けてきたと。

犬丸氏
もう本当にスパァーッと開けました。
とにかく佐野シェフにはじめに言われたのは、「おまえの店の柱商品はなんだ」でした。何も言えないんですよね。
ラインナップは揃えているけど、柱って何?と、自分で。それで佐野シェフが紹介してくれたのが、オペラさんの濱田シェフだったんです。

濱田シェフは「柱商品と言うのは、お客様が、あの店にはあれがあると、友達の所に行くにしても、会社を回るにしても、これを持って行けば相手が喜んでくれる。それがお店に、まずはひとつ。ひとつはないとダメなんだよ。うちで言ったらシュークリームだよ」と教えてもらって、ああやっぱりケーキ屋さんは看板商品が必要なんだなと思いました。

それからもうシュークリームの試作、試作で相当やりました。カスタードクリームからシュー皮まで、そしてこれだってものになって、「これからはライブキッチンだよ、お客様の目の前で焼いて、焼き立てをどうですかって。」佐野シェフのお陰で「やってみろ」と言われて、当たりましたね。

僕も自然とお客様の前にいつも行って「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」と言えるようになりました。昔チョコレートショップさんでやっていた当たり前のおもてなしが、本当に大事なんだなと、そこからです開けてきたのが。だから週1日10個くらいしか売れてなかったのが、100個売れるようになって、200個売れるようになって、今ではだいたい600個売れるようになりました。本当に嬉しいですね。
おもてなしの心が原点ですね。

田中
それで、現在のこの地に来られたのが、それから何年後ですか?

犬丸氏
5年前ですから、一念発起して2年後ですね。

田中
シュークリームが売れ出したのは旧店舗の頃で、それからだんだんとお客様が増えてきたんですね。

犬丸氏
そうですね。それで、こちらに来てからも色々ありました。
若手の子との考え方が違っていてですね。1人でやっていた時期もありました。商品も並びきれなくて、あの頃は妻にもかなり迷惑をかけてしまいました。
その時も佐野シェフに、ある程度は1人でも出来るだろうけど、やはり育てて自分と同じレベルまで育ててはじめて1人前じゃないかという話をして頂きました。
変な意地をはらずに、スタッフにもお客様にも分かりやすい自分でいないといけないんだなと、だから今はあまり頭を硬くせずに、こういう考え方もありかなと考えたり、若手と時には仕事と関係ない話もしながら仕事をしています。昔の自分じゃ考えられないですけどね。
でもそんな中でもお客様はたくさん足を運んでくださって。

田中
そういう師匠的な存在というのは大きいですよね。それでオープン、独立してからは何年たつんですか?

犬丸氏
15年ですね。オープンしたのが92年の10月17日で、こちらに来たのが2003年の7月11日です。

田中
では、シュークリームが売れ出して、今は順調に行っていると。

犬丸氏
そうですね。前は雨の時とかは絶対お客様も少なかったのですが、今はよく来て頂けるようになって、本当に嬉しいです。
本当にありがたいです!
だから、飯塚のセゾンさんが出来てまだ2、3年の頃に、業者さんから「筑豊にセゾンさんって言う、凄いお店があるんですよ。日本全国、北海道でも知っている」という話を聞いて、はじめは信じられなかったんですが、杉岡さんを紹介してもらって話をした時に、ああ、あるんだなぁと実感しました。だから、筑豊でも、田川でも、光るお店になれるんだなぁと。セゾンさんを、杉岡さんを見て、筑豊でも人口が少なくても関係ないんだなと、今、再認識してがんばっています。

田中
今までの段階があったから、いい経験になったのかもしれませんね。
ところで、お店の名前なんですけど、オープン当初から「萬平浪漫」なんですか?

犬丸氏
そうです。僕の大叔父さん、ひいじいちゃんの弟さんの名前なんですけど、僕がお店の名前を考えていた時に父親が、そう言えばこういうご先祖様がいるよと言って家系図や掛軸なんかをもってきて、その中に萬平さんがおられて、17歳で亡くなられたそうなんです。
地元ではすごい神童として有名だったらしく、萬平さんが描いた掛軸や絵や、書道家が書くような書も見せてもらってですね。将来この地に留まらない世界に向かった夢をもっていたらしく、僕はお店の名前に「浪漫」っていうのを絶対、付けたかったので、もう単純にくっつけてしまえと。

田中
すごい方だったんですね。若干17歳で。


犬丸氏
いや、もう本当に感動しました。
お墓もですね、犬丸家のお墓は田舎のお墓なので土葬なんですけど、ただ石を置いたようなお墓なんですけど、きちんとした犬丸家のお墓を建てるという話になって、お骨を骨壷に入れるために掘り起こしに行ったんですね。僕はその時に初めて萬平さんのお墓を見たんですけれど、そしたら萬平さんの墓石だけすごく大きいんですよ。それ見たときにすごかったんだなと思いましたね。

犬丸家の家を建てた初代のおじいちゃんより大きかったですもんね。だから名前頂いて恐縮ですけど、よかったなと思っています。
どこの方にもすぐ名前を覚えていただけるので。

田中
菓子職人にとって大切な事は?

犬丸氏
僕はきちんと材料の事を大事に考えて、目標をもってやることでしょうか。
材料の事を知らないのに、教えられたようにやる、それはだめですよねってよく言っているんです。
どうやって作られているのか、これがいくらくらいの値段でとか大事に考える。

まずは材料のことを知る事ですね。また、私どものお店はお客さんから直接作っているところが見えるんでやっぱり楽しく仕事をしているところを見せないといけないと思います。
たまに、小さいお子さんが、私達の作業をじっ〜と見ててケーキ屋さんになりたいって言ってるんですよね。
だからこそ楽しく仕事をしようというのはいつも言っています。

田中
将来菓子職人になりたい方にアドバイスがあれば。

犬丸氏
お菓子が好きなだけじゃつとまらないと思います。パティシエになるにはどうしたらいいのかとか、美味しいお菓子を作るためにはどうしなければいけないとか勉強してほしいですね。
それとやっぱり笑顔ですね。
私自身40歳になって分かりますね。いろいろ失敗もあったけど、勉強することも多くありました。

多分これからもいろんな失敗をすると思うけど、ただ50歳になった時に、あぁ〜あの時に失敗しててよかったなって言えるように後悔しない事ですね。失敗は誰にでもあると思うし、失敗を恐れたら何も出来ませんからね。私の場合、いろんな事に関して、アドバイスをして頂ける人が回りに居たからここまでこれたと思います。だからこれからパティシエを目指す人は叱咤し、アドバイスできる人を回りに作ることだと思います。

田中
本日はありがとうございました。