田中
本日はよろしくお願します。
まずは、生年月日と出身地をお願いします。
また、子供の頃はどんな事に熱中していましたか?

笹原氏
昭和33年4月14日福岡市博多区です。
熱中している事といったら子供の頃から物を作る事です。

クラブは中学、高校ではバスケット部にいました。
3年生になるとみんな部活が終わってしまうんですが、
僕はみんなが受験勉強始めた時も体を動かしたくて一人で
よく走ってましたね。

田中
高校を卒業されてからは?


笹原氏
高校を卒業して、喫茶店でバイトを始めました。
お菓子自体そんなに食べる事はなかったんですけど、飲食店には興味がありました。
働くうちに、作る事に興味があったので料理やデザート作りを習いました。それで、パフェとかを作っているうちに本格的にデザート
を作りたいという気持になったんです。

田中
それでは喫茶店でデザートを作っている内に興味をもたれたわけですね。

笹原氏
そうですね。デザートを美味しそうに食べるお客様の喜ぶ顔を見た時に、「これしかない」と、それでお菓子の道に進む事にしたんです。
それまではコーヒーの勉強をしようと思って、知り合いからもコーヒー店を出すから手伝ってくれと言われていたんですが、
そのお話もお断りしたんです。
その頃、ケーキ屋の道に進みたいと思った時に、どんな所に行けばいいのか分からなくて、とりあえず福岡の美味しい店と聞いた時に、
赤坂の「マキシム」が有名で、あと「全日空ホテル」「赤い風船」の名前が上がっていました。

それで、探している時に「赤い風船」の求人があって入社したんです。
始めは喫茶の方からスタートしました。
気持ちとしては製菓部門の方に行きたくてお願いしたんですが、製菓部門に行くまでに2年半かかりました。

田中
2年半後に製菓部門になって、それからですかケーキと関わり出したのは。

笹原氏
それからですね。
赤い風船にトータルで7年半くらい居ました。
その後、全日空ホテルで13年半、最後の2年半がシェフとして働いていて、気持ちとしてはその前からお店を出したかったんですが、
いろいろ構想を考えていたのと、上の人が辞めたので自分が辞めれなくなってしまって、結局それで40歳を過ぎた時に辞めて店を出す事に
なりました。

田中
赤い風船で製菓部門に移られてお菓子作りというのはどうでした?

笹原氏
赤い風船が一番忙しい頃だったので、本当に体力勝負。
朝からず〜っとチーズケーキやチーズスフレを何百個も焼いたりだとか、2年過ぎた頃からアイスクリームもさせて頂きましたね。
それで、他のいろんなお菓子も勉強したくて、ホテルに行けばいろいろ出来ると思って全日空ホテルに入ったんです。

田中
どうでしたか全日空ホテルでは?

笹原氏
最初の3、4年は仕事に慣れるまで大変でしたが、仕事にも慣れてきて、自分がシェフになった時には自分が選んだ材料とか吟味して
入れたり、とにかくシェフの立場になるといろんなセクションとの関わりがあるわけです。

ホテルの中には色んな人がいますよね。サービスの人もいれば、和食、洋食、中華のコックさんとか。
そういう人達と関わったお陰でお菓子作りだけじゃなく色んなものを覚えられました。
それが今になって役に立つ事もあります。

田中
違うセクションの方とは一緒には仕事されないわけですか?

笹原氏
一緒ではないですが、例えば宴会やパーティ、婚礼もそうですが、一緒の厨房で料理とデザートを作ったりとか、レストラン用のデザートを出したりとか、それが今、カフェをするのに役に立ったりとかしています。
サービスの面でもその時に見ていた事とか、すごく色んな人が沢山いて、アルバイトは次から次に入ってくるし、そういう人達との付き合いとかなども勉強させて頂きましたね。

田中
シェフになられた頃には気持ちとしてはお店を出したいと思われていたんですか?

笹原氏
お店は、もともと喫茶店で働いていた時も自分の店をしたいという気持ちはあったので、
ホテルに入って最初は大変で後にシェフになるんですが、自分の中では「この時期かな」という気持ちはありました。

田中
それで全日空ホテルを辞められて、独立されるわけですが、場所を那珂川町に決められたのは?

笹原氏
3月に全日空ホテルを辞めて、お店の準備を始めて3ヵ月後に場所を見つけました。
7月から準備に入って10月にオープンしました。

始めは地元でと思ってたんですけど、春日や大野城を回っている時に那珂川に来て、那珂川がこんなに変わっていると思ってなくて、
場所を見た時にここでやりたいと思って決めたんです。
2000年の10月20日にお店をオープンしました。

田中
その時は何人で始められたんですか。また、どうでしたお店は?

笹原氏
レギュラー4人とバイトとパートさんで3人、最初は7人です。
最初の頃は寝れなかったです。
全部出来るのが自分一人だったので、お店の子を帰した後も一人で作業をしていました。
その日のうちに仕事が終わる事はまずなかったですし、とにかく商品が揃わないのでいつもお客様にご迷惑をかけていました。

その後3年目に「はなまるマーケット」で抹茶ロールが紹介されて、それから本当に寝れなくなりました。
予約は断れないので、どんどん予約が入ってきて、焼いても焼いても間に合わなくて、その頃、昼ごはんは夜の7時8時頃で、
晩ごはんが朝方3時4時、2時間くらい寝てまた仕事という日々でした。

田中
その抹茶ロールは開店当初からあったんですか?

笹原氏
最初、ロールケーキは小郡の蜂蜜を使った「ハニームーン」と「ロマンストーリー」という抹茶ロールの2種類を出していて、
最初の頃は1日10本ほどでハニームーンの方が売れていたんです。

その後、テレビで紹介されてからはまったく逆転してしまいました。
それからも、「抹茶ロール」がうちの看板商品となり、お客様にお買い求め頂いています。
ありがたい事です。

田中
移転されたのはいつでしょうか?

笹原氏
前のお店で7年ほどして、2007年の11月20日に現在の所に移転オープンしました。
前の店舗では駐車場が狭くて、ご近所の方や、お客様にご迷惑をおかけしていた事もあったので、移転する気持ちになったのは、
やはり駐車場の件が一番にありますね。

本当はもう少し早く移転したかったんですが、自分としては同じ那珂川町以外では考えられなくて、いろいろ探しましたが、
条件どおりの良い物件がなくて、7年経ってしまいました。
そんな時に、近くにビルが建つということで、1階の2店舗分が使える事になり、お店の設計から、かませて頂いて、
思い通りのお店作りが出来ました。

念願だった駐車場もお店の前に2台、身障者の方用の駐車が1台、道路をはさんで8台の駐車が出来るようになりました。
これで、お客様にも安心してお買い物が出来るようになりましたし、また、念願だったお茶などをゆっくり楽しむことが出来るように
カフェスペースも作る事が出来ました。

田中
菓子職人にとって大切な事とは。

笹原氏
間違いなく「感謝する事」だと思います。

もちろんお客様には感謝でいっぱいですが、材料を持って来て頂いている業者さん、
それを作って頂いている産地の方にも感謝する気持ちがないと、その材料や素材を使えないというか作れないと思うんですね。
この仕事をさせて頂いている事にもそうだし、
一緒に働いているスタッフにも感謝しないといけないと思います。

田中
これから菓子職人になろうとしている人にアドバイスを。


笹原氏
いろんなお菓子屋さんに食べに行くのも大事ですけど、お菓子だけじゃなくて、とにかく「いろんなモノを見る事」
お菓子屋さんになると、他のものが結構見えなくなるんです。

お菓子屋さんという目標を持ちながら、他の事を一生懸命見る。
本も読むべきだと思うし、一般常識のないままにお菓子屋さんになると、やっぱり常識のないお菓子を作ってしまったり、
それが商売にも出てしまいます。

製菓学校に行っても1年、2年では、技術をつけようと思ってもほとんど出来ないんです。
そこで少し覚えたからと言っても、仕事で即戦力にはなりません。
それよりも、もっと他の事を勉強した方がいいと思うんです。人との接し方や一般常識は確実に役に立つと思います。

田中
本日はありがとうございました。