笹原氏
高校を卒業して、喫茶店でバイトを始めました。
お菓子自体そんなに食べる事はなかったんですけど、飲食店には興味がありました。
働くうちに、作る事に興味があったので料理やデザート作りを習いました。それで、パフェとかを作っているうちに本格的にデザート
を作りたいという気持になったんです。
田中
それでは喫茶店でデザートを作っている内に興味をもたれたわけですね。
笹原氏
そうですね。デザートを美味しそうに食べるお客様の喜ぶ顔を見た時に、「これしかない」と、それでお菓子の道に進む事にしたんです。
それまではコーヒーの勉強をしようと思って、知り合いからもコーヒー店を出すから手伝ってくれと言われていたんですが、
そのお話もお断りしたんです。
その頃、ケーキ屋の道に進みたいと思った時に、どんな所に行けばいいのか分からなくて、とりあえず福岡の美味しい店と聞いた時に、
赤坂の「マキシム」が有名で、あと「全日空ホテル」「赤い風船」の名前が上がっていました。
それで、探している時に「赤い風船」の求人があって入社したんです。
始めは喫茶の方からスタートしました。
気持ちとしては製菓部門の方に行きたくてお願いしたんですが、製菓部門に行くまでに2年半かかりました。
田中
2年半後に製菓部門になって、それからですかケーキと関わり出したのは。
笹原氏
それからですね。
赤い風船にトータルで7年半くらい居ました。
その後、全日空ホテルで13年半、最後の2年半がシェフとして働いていて、気持ちとしてはその前からお店を出したかったんですが、
いろいろ構想を考えていたのと、上の人が辞めたので自分が辞めれなくなってしまって、結局それで40歳を過ぎた時に辞めて店を出す事に
なりました。
田中
赤い風船で製菓部門に移られてお菓子作りというのはどうでした?
笹原氏
赤い風船が一番忙しい頃だったので、本当に体力勝負。
朝からず〜っとチーズケーキやチーズスフレを何百個も焼いたりだとか、2年過ぎた頃からアイスクリームもさせて頂きましたね。
それで、他のいろんなお菓子も勉強したくて、ホテルに行けばいろいろ出来ると思って全日空ホテルに入ったんです。
田中
どうでしたか全日空ホテルでは?
笹原氏
最初の3、4年は仕事に慣れるまで大変でしたが、仕事にも慣れてきて、自分がシェフになった時には自分が選んだ材料とか吟味して
入れたり、とにかくシェフの立場になるといろんなセクションとの関わりがあるわけです。
ホテルの中には色んな人がいますよね。サービスの人もいれば、和食、洋食、中華のコックさんとか。
そういう人達と関わったお陰でお菓子作りだけじゃなく色んなものを覚えられました。
それが今になって役に立つ事もあります。
田中
違うセクションの方とは一緒には仕事されないわけですか?
笹原氏
一緒ではないですが、例えば宴会やパーティ、婚礼もそうですが、一緒の厨房で料理とデザートを作ったりとか、レストラン用のデザートを出したりとか、それが今、カフェをするのに役に立ったりとかしています。
サービスの面でもその時に見ていた事とか、すごく色んな人が沢山いて、アルバイトは次から次に入ってくるし、そういう人達との付き合いとかなども勉強させて頂きましたね。 |