唐津城
天正18年天下統一を果した
豊臣秀吉は、朝鮮への出兵の基地を
唐津にほど近い肥前名護屋
(現鎮西町、呼子町)に定め
名護屋城を築城。
その後、徳川幕府により名護屋城は
解体され、その資材を用いて
寺沢志摩守広高が
慶長13年に築城したのが
「唐津城」である。
天守閣を鶴の頭に見立て左右に広がる
「虹の松原」が、鶴が翼を広げた形に
似ていることから
「舞鶴城」ともいわれる。
この松原は、
寺沢広高が植林したもので、
約100万本の黒松の群生は
潮風を防ぎ、この地に豊かな
農地をもたらすことになった。
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