田中
福岡から東京、横浜、それからフランスですね。フランスはどのくらい行かれていたんですか?
前田氏
1人で行ったんですが、実際1年弱いたんですけど、仕事をしたのは半年間ですね。
あと半年はヒッチハイクでヨーロッパを回りました。
僕の人生の中で、お金はなかったけど、時間があるのは、たぶん今だけだろうなと思って、オランダからずーっと下りてきて、パリにいたんですが、オランダからスペインの方まで行って、またマルセイユに戻って、ニースでは1ヶ月くらい滞在して、駅で寝たりして・・あちらは駅が一番安全なんですよ。そんな所ばかりで寝てましたね。
田中
フランスでの半年間、仕事の方はどうでした?
前田氏
菓子屋にお世話になりましたが、そこで「日本人は即戦力になる」って言われたんです。
だから仕事があったわけで、冬場でしたし、すごく忙しかったですね。
田中
それで鹿児島に帰って来られて、その頃、実家のお店はされていたんでしょうか?
前田氏
うちの実家は港の方にあって、爺さんの代から60年くらい続けていたんですが、ちょうど、私が帰って来る時に親父がもうそろろそ店を辞めるという話を聞いて、「それなら貸してくれ」と頼んだんです。
それで、お店を借りる事になりました。お店の名前は何でも良かったんですけど、初心だけは忘れないようにしようと思って、
「だるまや」という名前は残しておけば一生忘れないだろうなと思って、名前はそのまま残しました。
そこで6年程、洋菓子店として営業しました。
田中
最初は何人で始められたんですか?
前田氏
最初は一人で。
嫁さんやお袋に販売の方はお願いして、私は朝まで仕事をしていました。
5時前くらいまで仕事して、家に帰って、また9時にはオープンして、それが2・3年くらい続きました。
さすがに、その後は少しずつ人を入れました。
田中
フランス菓子の洋菓子店として最初の頃は売れ行きはどうでした?
前田氏
もうまったくなじまない。
生菓子は売れてましたけど、焼き菓子がまったく売れない。
今は焼き菓子のほうが売れますけど、当時は本当に売れなくて、焼き菓子も捨てるより差し上げてました。
差し上げる方が多かったです。
田中
洋菓子屋として「だるまや」を始められたのは、いくつの時ですか?
また、現在のお店に移転されたのはどうしてですか?
前田氏
31歳の時です。
本当はそこでも良かったんですが、場所柄、店が角地だったので、お店の周辺に車を止められる事が多いし、近所に迷惑をかける事もあったんで、そうした時、たまたまここの土地が売り出しをしていて、それじゃという事で6年後に現在の場所に移ったんです。
田中
こちらに移られて、喫茶コーナーとかあって、広くされましたね。
前田氏
喫茶コーナーこれは必要なんですよ。
だいたい朝と3時以降にお客様が入られるんですけど、前のお店の頃、いろんな方に来て頂いて、3人入られるともう満員で、
外で待って頂いているわけですよ。
そんな中、遠くから来られた方はお店の中で食べられてたりもしていたので、店の外で待って頂けるというのは、ありがたいですけど、
申し訳ないと、それで、移転する時にはゆっくりして頂けるコーナーを広く取りたいと思い、2階全てを喫茶コーナーにしました。 |