田中
その後、6年間の後は?
光野氏
次の修業先は鹿児島の「ケーキハウスヤナギムラ」さんにお世話になりました。
一度福岡に帰って来て、いろいろお店を探したんですけど自分の行きたい店があまり見つからなくて、九州で勢いのあるお店を探していたら
「ヤナギムラ」さんを紹介して頂いて、それでとりあえず面接をして下さいと、ケーキを食べてすごく美味しかったので、
それでもう「働かせて下さい!」とお願いしました。
ヤナギムラさんも神戸で修業されていたようです。
田中
ヤナギムラさんでの修業はどうでしたか?
光野氏
4年間お世話になりました。
経験者と言う事で入りましたが、新鮮に覚える事がいろいろありました。
ちょうどヤナギムラさんではシュークリームが爆発的に売れていた時で、朝から晩までカスター作ったり、1日中シューを焼いたりしていました。
田中
なるほど、結構言われるのが東京の味、関西の味とか、九州の味があると聞きますが。
光野氏
ええ、神戸で修行していたぶん関西の味になっていて、ヤナギムラさんのケーキというのやっぱり、すごく懐かしい感じで、
違和感なく溶け込めました。
かえって福岡のケーキのほうが東京っぽいケーキで小さくて可愛らしい、関西のほうは大きいのが支流だったので、やっぱり違いますね。
田中
ヤナギムラさんに4年間いらっしゃって、その後は?
光野氏
それからは実家のケーキ屋に戻って2年間、そして「アーク・アン・シェル」を2005年の1月にオープンしました。
田中
自分のお店を出そうと思ったきっかけはあったんですか?
また、この場所に決めたのはどうしてですか?
光野氏
もともと帰ってくる時点で自分の店は持ちたいと思っていたんですけど、で、やっぱり父の作るケーキとは違うので、それがどんどん強くなってきまして、やっぱり地元で店を出したいというのもあり、ちょうどここは副都心で今から開発される土地で、千早駅も近くにあり、これからの良い場所かなとこの辺りを目処に探していました。そうしたら丁度良い物件があったのでここに決めました。
田中
「アーク・アン・シェル」の名前の由来なんですが。
光野氏
フランス語で「虹」という意味で、人と人との架け橋になるようにという思いでこの名前にしました。
田中
オープン当時はどうでしたか?また、何人から始められたんですか?
光野氏
オープン当時は4人です、製造が4人で販売はいませんでした。パートさんだけで作りながら接客という感じです。
また、お客様の声が聞きやすいように、お客様との距離を短くしようと思ってオープンキッチンにしました。
田中
開店当初はどうでしたか。 |