堀氏
11月に入社したんですが、1年の中でも忙しい時期だったんで、毎日があっという間に過ぎていった・・・・という感じでした。
とにかく言われた事を一生懸命やっただけでした。寮に住んでいたんですが、寮と職場を往復する毎日でした。
吉野
寮には何人居られたんですか?
堀氏
先輩が4人、同期の連中が3人、私を入れ当時8人でした。食事は三食出てたんで安心して生活できました。
吉野
仕事は覚えられましたか?
堀氏
先輩たちから丁寧に教えてもらいましたんで、不安はありませんでした。
吉野
その当時は、今の16区の社屋ではありませんでしたか?
堀氏
私が入社した時は、今の社屋ではなくテナントの店でしたので、厨房が狭かったんです。皆が作業を始めると身動きがとれないほどだったんです。次の年の5月に今の社屋に引っ越しましたから、スペースにも余裕ができて仕事がスムーズにできるようになりました。
三嶋社長は、仕事が終わってから寮にも訪ねていただいて一緒にラーメンを食べたり、テレビを観たりと自分らとのコミニュケーションをとっていただいたことも多かったですね。社員の我々に、ものすごく気を使っていただいているなと感じました。
吉野
16区では何年仕事されたんですか?
堀氏
3年半いました。焼き物、仕込みはだいたいやらせていただいて、仕上げの途中で辞めたんですよ。
吉野
何かやめる原因はあったんですか?
堀氏
16区に入社して3年間は寮生活でした。その後、自分でアパートを借りて生活したんですけど、ひとりで住むようになると、今までの3年間わき目も振らずにやってきた緊張の糸がぷっつりと切れたような気持になったんです。
吉野
菓子職人としての不安や迷いが出てきたんですか?
堀氏
そうですね。三嶋社長は仕事に関しては厳しい方ですから、よく注意を受けました。厳しく注意される事って菓子職人なら、だれでもが経験している事です。ただ、私の場合は、注意される事で自分が情けないやら、ふがいないやらで・・・このまま菓子職人としてやっていく自信をなくしてしまったんです。それで仕事を無断で欠勤するようになったんです。
吉野
今までわき目も振らずやってきて、ふっと不安にかられるってことありますよね。
堀氏
はい、当時は、どうしようもなかったです。ただ、このまま欠勤している事もいけないので、勇気を振り絞って三嶋社長のところに行きました。めちゃくちゃ怒られるかなと思っていたんですが、自分の話にじっと耳を傾けてくれて「うん。そうか。分かった。しょうがないなぁ・・・」と優しく言ってくれたんです。
本当に申し訳なかったですね。
吉野
そういう時は休養も必要ですね。
その後は、どうされたんですか?
堀氏
アパートを借りて生活してたんでパスタ屋でアルバイトをしました。
そんな中途半端な生活をしてきた時に16区の先輩から声をかけていただき神戸の洋菓子店を紹介していただいたんです。
吉野
ありがたい先輩ですね。
堀氏
本当にありがたかったですね。
神戸の洋菓子店に半年勤めた時に、父親が「実家に戻って店をやらないか」と言ってきたんです。
両親には本当に心配をかけていたんで、唐津に帰って心機一転、頑張ってみようという気持になり27歳の時に実家に帰りました。
吉野
どうでした、お父様と一緒の仕事は?
堀氏
父が和菓子を作り、私が洋菓子を専門に作りました。父が作っていた洋菓子を少しづつ私の洋菓子に切り替えていきました。
店自体が昔ながらの和洋菓子店だったので売上は厳しいものがありました。ただ、こんな古ぼけた店にもお客様が来ていただけるんだと妙に関心しました。ですから、もっと美味しいケーキを食べていただこうと自分なりに工夫して意欲的にケーキを作りました。
吉野
お父様とは何年間一緒にされたんですか?
堀氏
7年間です。けっこう長い間一緒にやってきたんで自分ひとりでやりたいという気持になってきました。
現実問題、機材や道具も新しいものがなかったし、店舗が古かったんで、それもどうかせんといかんなぁと思っていたんです。
そんな時に16区でお世話になった先輩の廣瀬さんの店に相談に行ったんです。
吉野
福岡県の大野城市にあるペイバスクという洋菓子店ですね。
堀氏
はい、そうです。私が唐津に帰ってきて6年くらいして廣瀬さんがペイバスクというお店をオープンする時に声をかけていただき手伝いに行ったんです。それがキッカケで三嶋社長を始め、先輩方や同期の連中と久々に会うことができました。16区に迷惑をかけて辞めていたので、ずっと気になっていたんです。私が菓子業界に戻るキッカケを廣瀬さんに作っていただいたんです。
吉野
どういう相談をされたんですか?
堀氏
やはり、父とこのままやっていていいんだろうかという事を悩んでいたんで、それを相談しました。
吉野
何と言われましたか?
堀氏
そうですね「お前自身がお父さんと膝詰めで話し合わないといけない事だろうけど、俺なら独立して勝負してみる」という意味の事を言われました。
吉野
堀オーナーも独立の踏ん切りができたんですか?
堀氏
自分は長男でもあるし、父と同じ道を歩いている。菓子屋を継ぐということから言えば独立するのはどうなんだろう・・・という気持もがあったのは事実です。でも、廣瀬さんのお店から帰ってきた時に意外な話が舞い込んでいたんです。
吉野
どういうお話ですか?
堀氏
洋菓子店に最適な居抜きの物件の話でした。
吉野
まさに「独立しなよ」という事ですよね。
堀氏
「やらないかんやろ〜絶対やれ!」ということなんだろうなと運命みたいなものを感じました。
それから条件面で何とか折り合いがついて開店準備を本格的に始めました。
吉野
オープンはいつですか?
堀氏
廣瀬さんに相談に行ったのが4月頃で、店をオープンしたのが7月ですから、3ヶ月ちょっとで店をオープンしました。2004年7月15日です。
吉野
どうでしたオープンは?
堀氏
不安だらけのスタートでしたが16区の先輩方に来ていただいて、無事に開店することができました。
何から何まで先輩たちにやって頂いたようなものです。
吉野
堀さんは良い先輩方に恵まれていますね。
堀氏
本当にありがたいと思っています。自分は、わがままで甘ちゃんで無責任でどうしようもない人間だけど、それでも思ってくれる手助けしてくれる方々がいますので、本当に感謝してもしきれません。
吉野
7月オープンから売上はいかがでしたか?
堀氏
8、9、10、11月と売上は横ばいでした。1日これくらいかな〜と思っていた売上よりも2〜3万円多かったんで安心しましたが、経費が予想よりも出て行ってたんで少し切り詰めないといけないなと思いました。
そういう時に12月に入ってRKBラジオで取り上げていただいたんです。それから、その流れでテレビの「探検九州」に出たんです。そしたら、反響がもの凄くて・・・売上が急激に伸びたんです。特にホリロールが人気になって作っても作っても足らない状態が毎日続きました。その後は、順調ですね。テレビの影響は凄いです。 |