田中
パティシエを志したきっかけは?また、修業時代のお話をお伺いできればお願いします。
陶山氏
お菓子屋で行こうと決めたのはフランスに行く27歳の頃です。福岡の調理の専門学校を出て、「レストラン花の木」に就職しました。
当初は1年半ウエイターから始めてキッチン待ちをし、その後、料理「フレンチ」をしました。
今、商売をして思うことですが、もの作りの前に、
接客を含めてオーダーを出すにあたっての一番大事なお客様商売を徹底して教えて頂きました。
キッチンに入って1年ほどしまして、自分が尊敬するチーフが代わったんですね。
それを機に自分も他のお店に行ってみようと同じ福岡の赤坂にある「ムッシュブッファン」というレストランに飛び込みで入れて頂きました。
たまたまそこのオーナーが16区の三嶋社長と同級生だったんですね。たまに、三嶋社長がいらっしゃいまして紹介は頂いていたんです。
そこでは料理全般を習いました。また、デザートは料理の最後の部分であり皿盛りのデザートを作るうちに、デザートやお菓子に興味を持ち始め本場のフランスに行ってみたいと思うようになりました。
フランスに行く時にはそのレストランのシェフに紹介して頂いたんです。
フランスでは、リヨンのホテルのレストランでデザート部分を任されていました。
半年ばかりいた時に本格的にお菓子も覚えたいという気持ちが強くなり、リオンからパリに行ったんです。
パリには16区の三嶋社長に紹介状を書いて頂き、お菓子屋に入ることが出来ました。
パリのお菓子屋さんではお菓子全般、パンなどいろいろ勉強をさせて頂きました。
修業時代は無我夢中だったですね。
料理もそうですが、お菓子の形を作る事に関して驚きの連続でした。自分自身好奇心の塊だったから
全てが体の中に染み込むように吸収しました。つらいというより、楽しかったですね。
全てがマジックの種明かしをひとつづつ解き明かすような感じですかね。
驚きと、ときめきと、その作り方がわかった時の感動と、またそれを使って人を喜ばせようとそれの連続でした。
田中
休みの時とかは何されていたんですか?
陶山氏
日本のフレンチレストランの時には
本屋に料理の専門書をよく立ち読みに行ったり、あと趣味でバイクに乗っていましたのでツーリングをしたりモトクロスですよ。うまくはなかったですが、一時期はバイクを7台くらい持っていました。
大会にも出たりしましたけど、優勝を狙ってというよりまず自分が楽しむ事がいちばんでした。
ひとつのストレス解消と気分転換の部分もありましたね。
結構機械いじりも好きでしたし、やはり作ることが好きだったんでしょうね。今はモトクロスはやっていませんが、ツーリングは好きですね。
田中
お店を出そうと決心されたのは幾つのときでしょうか?
陶山氏
高校の時に思っていたのは商売をするんだったら小さくても自分が主というのを考えていました。手に職を付けて人様に役に立ちながらもご飯がい頂ければと思っていました。本格的に思ったのはお店を出す勢いもありますけど、30歳過ぎた頃ですね。
フランスから帰ってきて福岡のフランス菓子16区に1年間お世話になりました。
それから、もう1年東京のほうへ勉強に行きました。それで、福岡に帰ってきて独立をしました。
地元をいろいろ探しました。駅前や五条、太宰府天満宮の近くと、いろいろ探す中でたまたまこの場所である通古賀に決まりました。
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