田中
念願のフランスですね。どうでしたかフランスは?
細川氏
初日ですが、ドゥニシェフに昼休みの食事が終わった後にケーキを食べさせて頂いたんです。
僕の中でフランス菓子というのは飾りがついたすごいお菓子を想像していたんですけど、ドゥニシェフが僕に食べさせてくれたのは
エクレアでした。
その時思ったのが「これ、エクレアだけど・・・僕はこんなお菓子を作りに来たんじゃないんだけど・・・」もっとモダンなフランス菓子のイメージがあって、そう思って食べたんですけど、その時のエクレアの味は今でも忘れられないほどです。
それぐらい印象深かったんです。
仕事するまで一週間あったのでその間は、どうしようかな〜と、来て良かったのかなぁとまだ迷っていましたけど、
その時に心から来て良かった!と思いましたね。
それから開き直って仕事に没頭できたのはありました。
自分にとってはそれくらい意味のある出来事でしたし、今はエクレールショコラ作っているお店も減りましたけど、僕は一生作っていこうと思っています。
田中
結局そのフランスには何年いらっしゃったんですか。
また、言葉の壁というのは?
細川氏
3年です。
最初は長くても、1年かなと思っていたんですね。
言葉の壁ですが、本当にわからなくて。
とにかく数が分からなくて、よく失敗したのを覚えています。
最初はしゃべりが早いから聞き取るのも聞き取れなくて。
フランス菓子を勉強するには、文化から風習から習慣からとシェフが言っていたので、まずは言葉を習得しないとダメだと思いました。
だから3年の間に言葉も普通にしゃべれるようになったし、いろんな繋がりも出来たし、本当にお菓子作りに対する自信もつきました。
田中
ドゥニシェフから教わった事は多くあったんですね。
細川氏
そうですね。
まずいつも言われたのが「イメージ」という事です。お菓子を作る時は何でもそうなんですけどイメージを持つ事とよく言われました。
イメージを持って、イメージにそって進めていく、スポーツでもイメージした通りに進めるというか、お菓子も料理もそうだと思うんです。
こういう味にしたいとか、こういう風に作りたいとか、自分でイメージして進める。
そのイメージを頭の中に持つ事が大事だと。
あと、フランスは食べ物・お菓子に対する考え方が違うんです。
日本人は削ぎ落とすと言うか磨く感じ、味を取ってしまう事をするんですけど、甘かったら少し甘みを取ったりとか。
でも、フランスは甘かったら逆に香りをもっと足したりとか、酸味を付け加えたりだとか、硬いものを中に入れたりとかして、
味のバランスを組み立てる。
国民性というか、いろんな人がいて衝突があって、その中で社会を組み立てていくスタイルなんですね。
もちろんお菓子も大切なんですが、人生で考えた時に、人生の歩き方をムッシュに教わったようなそういう気がします。
ただお菓子を作るんじゃなくて、作ることによって何の意味があるのかとか、自分のやっている事にどういう意味があるのかを教えて
頂きました。
田中
その後ですが、15年の経験があるわけですよね。それで熊本に帰られて独立を?
細川氏
とにかく帰る時にドゥニシェフが食事に招待してくれて「とにかく帰ったらすぐやれよ」と言われたんです。
田中
それでは、オープンされたのは何年ですか?
細川氏
1998年の11月です。
僕は熊本でフランスのいい物を地域の人達に伝えたい。それが僕のテーマなんです。
田中
どうしてこの場所になったんですか?
細川氏
それは、熊本市でお店を出そうと思って、熊本市の地図を広げて見たんです。
そして熊本の中心はどこかといったら水前寺でちょうど熊本市の中心なんですよ。
だから、僕はとにかく中心に行こうと思ってこの場所に決めたんですね。
また、環境が良いですよね。
町の中なのに緑が多いですし、閑静な住宅街で、ものすごく良いなと思いました。
田中
最初は何人から始められたんですか?また、どうでしたかオープン当初は?
細川氏
厨房は僕とあと1人、そして販売は奥さんですね。
あとはアルバイトの子や親戚が手伝ってくれたりだとか、そんな感じでした。
オープン当初はきつかったですね。
もう本当によくやったなと思うくらい働いたというか。
結構お客様にも来て頂きました。本当に地域の皆様には可愛がって頂いております。
ありがたい事ですね。 |