田中
本日はよろしくお願します。
まずは、生年月日とご出身地をお願いします。
また、子供の頃、熱中した事や趣味はありましたか?

細川氏
昭和40年1月24日生まれ、熊本出身です。
僕は活発でどこにでもいるわんぱくで、とにかく体を動かす事が好きでした。
そして料理を作る事や食べる事も好きで、うちのお袋がものすごく料理がうまかったんですよ。
あと、小学校の頃から高校まで野球をしていました。

田中
パティシエを志したきっかけは何かあったんですか?


細川氏

親父は地方公務員で市役所に勤めていたんです。
そして僕は長男なので後継者になってほしかったようで、とにかく大学は出ろと言われて、僕は僕で親父の事をすごく尊敬していて、いつも認めてもらいたいと思っていたんですが、親父の言う通りにしていても絶対親父を超える事は出来ないだろうなぁと思って。

その時に小さい頃は作る事や食べる事が好きだった事を思い出して、料理の道に進もうと思って、福岡に行ったんです。
本当は東京に行きたかったんですが、まだそこまで勇気がありませんでしたね。

そして従兄弟の紹介で、住み込みでホテルに入りました。
まずは下働きからやって、そこで朝から晩まで無我夢中で働きましたね。
その中で働く事の厳しさを覚えて、人間は汗を出して働いてなんぼなんだなと思ったんです。
だから若い時は先の事を考えるより、今しか出来ない事を考えたり、アグレッシブに活動することがまず大事じゃないかなと思っていました。

田中
ホテルは何年位いらっしゃったんですか?

細川氏
半年です。
僕は本当はもっといたかったんですけど、半年くらい経った時に、経営も厳しくホテルがリストラを始めて、僕はその時まだ一番下で、チーフと食事をしている時に自分から辞めてもいいという話をしたら「お前ここ辞めたらどうするんだ、確か東京に行きたいと言っていたな」と、「僕はコックになりたいんです」と言ったら「お前は絶対この仕事むいているから、どんな厳しい事があっても絶対辞めず続けるんだぞ」と言われて、それが本当に嬉しいかったのを覚えています。

その頃、仕事の厳しさを日々感じていて、親父の言う通り大学に行こうかなと迷っていたんですが、その言葉で続けようと思ったんです。

田中
それからはどうされました?

細川氏
そして行くならやっぱり東京にいかないとダメだなと思い、フランス料理はやっぱり東京なんだと思って、一度、熊本に帰って東京での仕事を探して10月から空きがでるレストランを見つけたんです。

でも、10月まで1ヶ月くらい時間があるからその間、熊本でアルバイトでもしようと思っていたら母親から「レストランじゃないけどケーキ屋さんならあるよ」と聞いたんですね。
それはそれでデザートの勉強になるかなと思って行ったんです。

そこが「ブローニュの森」でした。
そこに入ったらとにかく面白くて結局9年間いる事になってしまったんです。

田中
ではケーキにはまって、フランス料理は諦めたんですか?

細川氏
僕の中では「パティシエになりたい!」とか全然なくて、単に東京に行くための繋ぎの為のアルバイトだったんですが、入ってはまったというのが正直なところでして、僕たちの頃はまだパティシエという言葉もなかったですからね。

「ブローニュの森」の鍬本社長から面接して頂いて、「じゃあ明後日からおいで」と言われまして、それがずーっとそこから今まで続いているという事ですね。
それで、ある時に先輩から「お前、東京に行ってフランス料理するんじゃなかったの」と言われて、「あぁそういえば忘れていた」なんかそんな感じでしたね。

ブローニュの森の鍬本社長にも本当にお世話になって、
社長は「俺はものすごくいい人生を送ってきた、運も良かったし、いい人達にめぐり合えた、ただひとつだけ後悔している事はフランスに行けなかった事。だからお前は絶対にフランスに行けよ」と言われたんです。

田中
「ブローニュの森」さんはどうでした?

細川氏
ある時に講習会があったんです。
実はその第1回の講習会の時に当時、「ブローニュの森」にいらっしゃった先輩が東京で働いていて、「今度、日本に素晴らしくてすごい人が来るから、お前のパティシエ人生が一気に変わるくらい強烈な人が来るから、絶対東京に来い」と言われて、それで社長にお願いして一緒に連れていってもらったんです。

田中
どんな講習会だったんですか?

細川氏
東京のイル・プルー・シュル・ラ・セーヌの弓田シェフが主催でフランスの方を呼んで講習会をされました。
僕が20歳の時です。

すごく感激して「すごいなぁ、一生に一回でいいからあの人の下で働いてみたい」それで、「フランス・ジャン・ミエのドゥニ・リュッフェル氏の所で働きたいです」と鍬本社長に言ったんです。
すると鍬本社長が「じゃあお前はここであと5年我慢しろ、5年間しっかり基礎をやったら僕が弓田くんの所を紹介してやるから、そして東京に行って認められたら弓田くんがそこを紹介してくれると思う」と。
そして僕が25歳の時に東京に行ったんです。

田中
それで東京の弓田シェフの所に行かれたわけですね。

細川氏
弓田シェフの所で3年間お世話になった頃に「ジャン・ミエ」に行って来いと言われました。

田中
念願のフランスですね。どうでしたかフランスは?

細川氏
初日ですが、ドゥニシェフに昼休みの食事が終わった後にケーキを食べさせて頂いたんです。
僕の中でフランス菓子というのは飾りがついたすごいお菓子を想像していたんですけど、ドゥニシェフが僕に食べさせてくれたのは
エクレアでした。
その時思ったのが「これ、エクレアだけど・・・僕はこんなお菓子を作りに来たんじゃないんだけど・・・」もっとモダンなフランス菓子のイメージがあって、そう思って食べたんですけど、その時のエクレアの味は今でも忘れられないほどです。
それぐらい印象深かったんです。

仕事するまで一週間あったのでその間は、どうしようかな〜と、来て良かったのかなぁとまだ迷っていましたけど、
その時に心から来て良かった!と思いましたね。
それから開き直って仕事に没頭できたのはありました。
自分にとってはそれくらい意味のある出来事でしたし、今はエクレールショコラ作っているお店も減りましたけど、僕は一生作っていこうと思っています。

田中
結局そのフランスには何年いらっしゃったんですか。
また、言葉の壁というのは?

細川氏
3年です。
最初は長くても、1年かなと思っていたんですね。
言葉の壁ですが、本当にわからなくて。
とにかく数が分からなくて、よく失敗したのを覚えています。

最初はしゃべりが早いから聞き取るのも聞き取れなくて。
フランス菓子を勉強するには、文化から風習から習慣からとシェフが言っていたので、まずは言葉を習得しないとダメだと思いました。
だから3年の間に言葉も普通にしゃべれるようになったし、いろんな繋がりも出来たし、本当にお菓子作りに対する自信もつきました。

田中
ドゥニシェフから教わった事は多くあったんですね。

細川氏
そうですね。
まずいつも言われたのが「イメージ」という事です。お菓子を作る時は何でもそうなんですけどイメージを持つ事とよく言われました。
イメージを持って、イメージにそって進めていく、スポーツでもイメージした通りに進めるというか、お菓子も料理もそうだと思うんです。
こういう味にしたいとか、こういう風に作りたいとか、自分でイメージして進める。
そのイメージを頭の中に持つ事が大事だと。

あと、フランスは食べ物・お菓子に対する考え方が違うんです。
日本人は削ぎ落とすと言うか磨く感じ、味を取ってしまう事をするんですけど、甘かったら少し甘みを取ったりとか。
でも、フランスは甘かったら逆に香りをもっと足したりとか、酸味を付け加えたりだとか、硬いものを中に入れたりとかして、
味のバランスを組み立てる。
国民性というか、いろんな人がいて衝突があって、その中で社会を組み立てていくスタイルなんですね。
もちろんお菓子も大切なんですが、人生で考えた時に、人生の歩き方をムッシュに教わったようなそういう気がします。
ただお菓子を作るんじゃなくて、作ることによって何の意味があるのかとか、自分のやっている事にどういう意味があるのかを教えて
頂きました。

田中
その後ですが、15年の経験があるわけですよね。それで熊本に帰られて独立を?

細川氏
とにかく帰る時にドゥニシェフが食事に招待してくれて「とにかく帰ったらすぐやれよ」と言われたんです。

田中
それでは、オープンされたのは何年ですか?

細川氏
1998年の11月です。
僕は熊本でフランスのいい物を地域の人達に伝えたい。それが僕のテーマなんです。

田中
どうしてこの場所になったんですか?

細川氏
それは、熊本市でお店を出そうと思って、熊本市の地図を広げて見たんです。
そして熊本の中心はどこかといったら水前寺でちょうど熊本市の中心なんですよ。
だから、僕はとにかく中心に行こうと思ってこの場所に決めたんですね。
また、環境が良いですよね。
町の中なのに緑が多いですし、閑静な住宅街で、ものすごく良いなと思いました。

田中
最初は何人から始められたんですか?また、どうでしたかオープン当初は?

細川氏
厨房は僕とあと1人、そして販売は奥さんですね。
あとはアルバイトの子や親戚が手伝ってくれたりだとか、そんな感じでした。

オープン当初はきつかったですね。
もう本当によくやったなと思うくらい働いたというか。
結構お客様にも来て頂きました。本当に地域の皆様には可愛がって頂いております。
ありがたい事ですね。

田中
「ラティエンヌ」の名前の由来は?

細川氏
「ラティエンヌ」というのはフランス語で「乾杯」という意味で、同僚と仕事終わりに飲んだり、週末に飲んだりする時に「ラティエンヌ」と使う言葉なんです。

ものすごくいい言葉だと、親しみのある言葉であまり正式な場での言葉ではないんです。
正式な場だと「ア・ヴォトル・サンテ」で「あなたの健康に」という意味でラティエンヌは「君に」とかいう意味です。
フランスでシェフがよく使っていた言葉で、ワインを飲む時とか言っていました。
自分に一番心地いい一番印象のあるフランス語でした。

田中
菓子職人にとって大切な事は。

細川氏
まず何でもそうですけど、「健康であること」ですね。
そして、しっかり食べる事。
病気とかになってしまうと何にもできないので健康である事、今の若い子はとにかく食べないので食事もしっかり食べてほしいですね。

田中
これから菓子職人になろうとしている人にアドバイスを。

細川氏
身体作りをしっかりする事。僕たちの仕事は絶対モダンな仕事ではなくて、本当に体力仕事です。
だから体力作りです。いっぱい食べてどんなに疲れていても頭が回る訓練を今からしてもらいたいですね。

どんな事でも吸収するようなバイタリティーをもって、いろんな事を勉強する事です。
それはお菓子の事だけじゃなくて、いろんな物を見て、感じて、食べて感性を磨くことですね。

田中
本日はありがとうございました。