田中
5年間という事は、だいたいの事は勉強されたんですよね。
松本氏
ええ、仕上げと焼き方が大切ですけど、焼き物は結構やりました。
ただ、さっきの思い出じゃないんですが、昔のオーブンは今みたいにマイコン制御じゃなかったんです。
だからガチャンと入れたら温度が上がっていくタイプで、
一度、急な注文が入って「オーブン入れとけ」と言われて、忘れてしまい寝てた事があるんですよ。
そうしたら当たり前ですけど、そこに入れていたものが、もう真っ黒になって、寝ている時に何か焦げくさいなあと思ったら
「ああ!窯入れっぱなしや!」と気付いて、もう250から300℃くらいまでになっていて、中に入っていたのがメレンゲのお菓子だったんですが、
もうヤバイと思って、窓を全部開け換気扇つけて、そんな失敗も入った当初しましたね。
今はオーブンが自動制御ですから、絶対そういう事はないんです。
忘れて商品を焦がしても温度はそれ以上は上がらないし、ブザーがあったりとか、もうロボットと同じですね。
全部教えてくれます。
昔はアナログ式なので常に温度は上がりっぱなしなのでそれを頭に入れて置かないと、いつも窯・窯・窯。
今はタイマーで音が鳴らないから焼けてないとか、オーブンに頼りきってしまって、そうじゃないと思うんですけどね。
微妙な「カン」と言いますか、焼き具合が、その季節その日その時の乾燥状態とか湿度とか、空気の温度とかも違いますから、
タイマーに頼ってしまうと微妙に違ってくる。
そういった意味では昔の職人さんは「カン」も養っていたんです。
田中
そうですね。「カン」も職人の技みたいなものですね。
それで、5年して、宮崎に帰って来られてたんですか。
松本氏
そうです。東京での修業中に父が亡くなりましたので、急遽帰って来て、宮崎のお菓子屋さんに勤める事になり、
10年くらい大手の菓子店に勤めました。
そこでは、10年の間に洋菓子のチーフになり、28歳の頃には和菓子、洋菓子全般を見る工場長になりました。
そうなると総括的に仕事の流れや、人の管理とか見ないといけないというのもあります。
そういった意味で、実際自分がお店をして役に立った部分も多くあります。
田中
宮崎のお菓子屋には結構長くいらっしゃいましたね。その後、ご自分でお店を出そうと思われたんですか?
松本氏
家庭もある中で、資金も貯めないといけないから10年かかりましたね。
今のお店の前に工場がありますが、その店がオープンしたお店なんです。
最初にお店を出した時は34歳です。1988年3月で自分の誕生日の日にオープンしました。
もう20年前になります。
田中
オープンの時は何人から始められたんですか?また、オープン当初はどうでした?
松本氏
最初は一人からです。
奥さんとパートの人に少し手伝ってもらうくらいでした。
あの当時、洋菓子専門店というのはそんなにはなくて、良かったと思います。
田中
最初オープンされた場所なんですが、ここに決められた理由は何かあったんですか?
松本氏
前の会社の通勤の道だったんですよ。また、文化的な施設もある街で気に入ってたんです。
市外から市内に抜ける道で西日の当たらない場所にちょうど空き店舗があって、
車も3台くらい止まるスペースがあり、交渉したら金額も納得のいくものだったものですから、これはちょうど良いなあと思って決めました。
その後、2003年に同じ敷地内ですけど、今の場所に移りました。
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