宮川氏
小学校の頃から漠然と「コック」さんになりたいなと思っていました。 高校の時には大学に行こうかな〜と思っていましたし、ただ大学に行って何がしたいのかと思った時に「コック」さんになりたかったんじゃなかったのかと思って、白衣にあこがれていたんですね。
人と違うことがやりたかったんで、ある時、デコレーションのパンフレットを見た時にこれだ!って思いました。
それで、大阪の辻製菓専門学校に入学しました。
お菓子のことは何も知らず、ミルフィーユって何?って感じでした。ショートケーキとチーズケーキとモンブランしか知りませんでしたから。
卒業後は大阪で2年間洋菓子店で菓子職人としての基礎を学びました。それから福岡に戻り、一度はお菓子以外も見てみたいということでレストランで半年間働きました。そこのシェフに博多全日空ホテルのシェフを紹介いただき入社し、13年間お世話になりました。
ペストリーと言うんですけど製菓部門ですね。
田中
宮川シェフはよく賞を取られていますが、コンクールに参加したきっかけは?
宮川氏
全日空ホテルに入社して2年目ぐらいでしょうか。きっかけは日頃の仕事とは違う所で自分の力量を試してみたくて参加しました。
初めてお菓子のコンクールに参加して運良く最初から賞を頂きました。
ホテルでしたので洋菓子とは別に料理のコンクールにも出る機会とかもあったもんですから、それが良かったですね。
通常の業務が終わって練習なり試作をするもんですから、時間というのをどうやって使っていくかとか、だからコンクールで賞を取ったというのは結果論ですから、それに向けて本を読んだり調べたり試作をしたり練習をしたりと、それがそのまま通常の業務にフィールドバックされて、
いい相乗効果とか集中力だったりセンスだったりとかが身に付いたのかなって思います。
田中
修業時代のお話をお願いします。
宮川氏
大阪の洋菓子店の2年間の修行時代はきついと思ったことはありますけど、この業界を辞めたいと思ったことはありませんでした。
器具や材料の名前も知らないわけですから、自ずと調べる事、勉強する事が分かってくるわけです。
きつい口調で教えてもらっていると思えば苦にもならないし、自分が好きで入った道ですから、かえって何も知らないから素直に習得できた部分もあります。
将来は凄い職人になってやるって想いはいつも持っていましたね。
休みの時には一人住まいでしたので、洗濯や掃除とかケーキ屋さんを回ったりとか、もちろんお金もないわけですから、旅行に行ったりとか出来ませんし、本も買えないから立ち読みするぐらいなもんで休みの日は時間が経つのが早かったです。
大阪の2年間は言われるのをこなして行く感じでしたけど、福岡に帰ってきて全日空ホテルに勤めてからの方が勉強はしましたね。
最終的にはペストリー部門のシェフになるんですけど、全てにおいて管理しなくてはいけないわけです。
人の管理から数字の管理等、出てくるんで、それがいい経験ですよね。お店をするときに役立っています。 |