田中
パテェシエを目指した、志したきっかけは?
永田氏
代々うちの実家は和菓子屋だったんですが、
高校までは体育の先生になりたいと思ってましたが、結局は福岡の経理専門学校に行くことにしました。
だからその時までは、気持ちの中では将来、何になるかって考えていなかったですね。
専門学校を卒業して子供服のメーカーに内定をもらって東京に行くようになっていたんですけど、それを父に報告したら反対は
しなかったんですけど、「お前が行きたければ行けばいい」と言われました。
その時、父の背中がものすごく寂しそうに感じたんですね。それを見た瞬間に跡を継いだほうがいいのかなと思いました。
田中
永田シェフのご実家は代々の和菓子屋だったんですね。
永田氏
そうですね。
私で4代目です。西海堂の創業は大正時代ですので、創業は85年くらいでしょうか。
その時に悩みましたが、自分の決断で内定を取り消して頂いて跡を継ぐ決心をし、20歳の時に修業に行くことになりました。
修業先をいろいろ考えたんですけど自分としては和菓子ではなくて洋菓子をしたくて最初は福岡の「洋菓子のコイデ」に3年、
その後、鎌倉の「レザンジュ」に3年お世話になりました。
自分としては、その後はヨーロッパに修業を希望をしていたのですが、父が病気で倒れたんです。
また、実家の菓子店の経営についても心配でしたので急遽戻る決心をしました。修業時代は無我夢中で勉強しました。
父も喜んでいて、私自身、親子でお店をする事も考えていたんですね。でも父が病気の為にそれもかなわない事となりました。
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