山口氏
そうです。
松翁軒と言いまして、親父の代で10代目です。
田中
それでは創業は何年でしょうか?
山口氏
江戸中期の天和元年ですから三百年以上ですね。
初代は山口屋貞助が店を構えて、「カステラ」や「砂糖漬け」などを作っていました。
田中
長崎といえばカステラですけど、カステラも南蛮菓子ですよね。
カステラとかには興味はありませんでした?
山口氏
スペインやポルトガルですから、カステラも南蛮菓子ですね。
ただ、私の場合は子供の頃からカステラとか和菓子より洋菓子、ケーキの方に興味がありました。
田中
子供の頃からケーキ屋さんになりたいと思ったきっかけは何かあったんでしょうか?
山口氏
実家がお菓子屋なんで、お菓子の本や、ケーキの本を良く見ていたんです。
特にヨーロッパ、フランスに行ってみたいと、要は外国に対する憧れがあったと思います。
早くお菓子屋に就職したかったんですけど、結局、大学まで行かせてもらったんです。
大学の頃がちょうどバブルの時代で、友人達はみんな良いところに就職するわけですよ。
私はそれを横目に、これで自分もケーキ屋に就職出来ると嬉しかったのを覚えています。
田中
それで、ケーキ屋さんに就職されるわけですね。
山口氏
やっと子供の頃からの夢の第一歩ですからね。
東京のフランス菓子のお店で「青山シャンドン」に入りまして洋菓子作りの基礎を学びました。
そこは、マスターがフランスで修業された方で、縁はなかったんですけど、東京に行った時に、一度ケーキを食べて、美味しいし、良いお店だなと思ったんです。
田中
「青山シャンドン」さんに入られてどうでした?
山口氏
仕事はそんなにきつくはなかったんですけど、社会人としての自覚や、職人の世界ですから、
覚える事も多くて、いろんな面でしんどかったですね。
でも、洋菓子屋さんで働ける気持ちの嬉しさの方が勝っていました。
本来、自分が希望してた道ですから、そういった面では楽しかったし、充実していました。
田中
大学を卒業してからこの道に入られて、仕事に対する気持ちはどうでした?
山口氏
自分としては、7年間ぐらい遅れて来てるコースですから、先輩は年下の方もいらっしゃったし、でも職人はそういうもんだと思っていましたから、違和感はなかったです。
田中
「青山シャンドン」さんには何年間いらっしゃったんですか?
山口氏
洋菓子作りの基礎を習い、2年半いました。
田中
その後にヨーロッパに行かれるわけですか?
山口氏
想いはヨーロッパに行きたくて、その気持ちを抑えられなかったんです。
自分としては、フランスに行きたくて、父に相談したんです。
すると、フランスには知り合いはいないけれど、スペインに詳しい人だったらいるという話になって、父の知り合いの、日本人の方で通訳が出来る料理研究家の人がスペインにいらっしゃったんです。
その方に話をしてみると、要はスペインに2〜3ヶ月居てフランスに入った方がいいんじゃないかと、通過して行けばという話になったんです。
あくまで、フランスに行く為にまず、スペインに入ろうかと言う事になりました。
田中
それで、スペインに行かれるわけですね。
山口氏
ちょうど、バルセロナオリンピックの直後です。
最初は、すごいお菓子が並んでいるし、圧倒されました。
ただ、言葉が分からないので、すごい無愛想に見えて、なんでこんな所に来たんだろうと、最初は正直思いました。
でも、来たからには慣れないといけないと思って、語学学校に行きながら就職先を探したんです。
そうする内に、マドリードのダニエル・ゲレロ氏のお店で「オルノ・サン・オノフレ」に入ることが出来たんです。
そこのお店は忙しくて、私が入った時には、ちょうど3件目の支店を出したところだったんです。
田中
スペイン菓子とフランス菓子の違いはあったんですか?
山口氏
スペインは暑い国で、生菓子はあまり発展しないんです。性格的にも保守的な人たちが多いんです。
ケーキはあるけど、フランス菓子の様な華やかさはあまりなかったですね。
昔かたぎのお店が多くて、古くからの伝統菓子、焼き菓子が地方でいろいろありました。
スペインに居るうちに伝統菓子に興味を持ち、慣れてくると、すごい良い人が多くて、日本人だからどうとかはないです。
慣れてきたら、お前はアミーゴだと、お前は家族だと歓迎してくれるんです。
パン菓子やイースト菓子が多くて、結局、熱い気候だから、そういうお菓子を作らないと商売として食べて行けないんですよ。
だから、スペインに来てこれが一番大事だと言われたのが、ブリオッシュやクロワッサンとかの生地なんです。
「これが出来ないとだめだぞ」と言われました。素材で言うとスペインはアーモンドを使ったお菓子が多く、タルト生地のお菓子も多いですね。
田中
結局スペインにはどのくらいいらっしゃったんですか?
山口氏
「オルノ・サン・オノフレ」には、最初は2〜3ヶ月と思っていたんですけど、働き出すとそういう事も出来なくて2年半いました。
たいへん居心地は良かったんですけど、皆も本当に良くしてくれて、現実としてスペインの生活もすごく気に入っていて、でも、自分としてはフランスにも行きたくて、結局フランスに行く時には、行きたいんだけど、残りたいと言う気持ちでした。
田中
それで、フランスに行かれるわけですね。
フランスにはお知り合いがいらっしゃったんですか?
山口氏
フランスに行った時には、今度はスペインに帰りたい気持ちになるわけです。
フランスには日本人が多くて、これも父絡みで、あるポルトガル人を紹介してもらったんです。
ポルトガル人の菓子職人で奥様が京都出身のご夫婦がいらっしゃって、そのご主人のパウロというポルトガル人がうちの実家で半年ぐらいカステラの修業に来ていたんですよ。
日本語も堪能で、そのご夫婦がリスボンにいらっしゃって、今度フランスに行きたいと話をしたら、奥様が「パウロ」がパリで日本人の職人さんに飴細工を習って知り合いらしいと、そんな訳で、フランスの事情を聞きに行っていろいろお話をしたんです。
とりあえず自分でもお店を探してみますという事になって、ある時、パリから新幹線で2時間くらいの街なんですけど、ロワール地方のアンジェという街で降りて、たまたま入ったお店のカフェでケーキを食べたんです。
「美味しいなぁ」と思ってこのお店に入りたいと思い、ショップカードを貰って、手紙を送ったんです。
後で分かった事ですけど、ミッシェル・ガロワイエー氏の「トリアノン」と言うお店で、そのお店は日本人の職人が多いお店だったんですね。
それで、返事は来なかったんですけど、とにかく行っちゃえみたいになって、そうしたら、うまい具合に入れまして、偶然でしたね。 |