佐藤氏
菓子職人を志したきっかけと言うのはないですけど、以前は小さな店舗で、父がパンと洋菓子のお店を開業していましたので、よく工場で遊んだり、たまに手伝いをしたりしていました。
子供の頃から何になりたいとかもなくて、純粋に父の跡を継いでお店をやろうとは子供ながらに思っていました。
たぶん小学校3年生頃の作文では将来はパン屋になりたいと書いたのを覚えています。
でも、親からは「やってくれとか、やってほしいとか」言われた事はないですね。
ただ、自分の中では子供の頃から、父の跡を継いでお店をやるんだと当然のように思ってましたので、高校を卒業して東京製菓専門学校に行きました。
田中
洋菓子の専門学校を卒業されて、修業をされたんですね。
その頃のお話をお願いします。
佐藤氏
専門学校を卒業後、そのまま東京の洋菓子店2店舗で修業しました。
トータルして東京に7年いました。
修業時代は普通に怒られたりするのが当たり前の世界でしたので、きついとか辞めたいとかはなかったですね。
ただ、好奇心が旺盛で、いろんな事を覚えて帰りたいというのがありましたので、無我夢中でしたし、よく勉強もしました。
東京ではひとり住まいで、少しでも家賃が安い所を探すと、当然、お店から遠くなり電車とバスを使っての通勤でしたね。
朝も早いし、夜も遅い、繁忙期の頃は始発で通勤し、最終で帰る。また途中下車という事もありました。
そんな中で一番苦労したのは食事の面です。
遅くなったらコンビにとか牛丼屋くらいしか開いてなくて、晩飯を食べるタイミングが大変でした。
レストランなんて高くて入れませんから、いつも今日の晩飯は何にしょうかと考えていたのは覚えています。
三度の飯なんてとんでもなくて、食べる時に腹いっぱい食べるという食生活でしたね。
結局、長い通勤時間のお陰で、何もすることがなくて、お菓子の事、将来の事、また仕事のことで失敗した事や勉強になった事・・
いろんな事を考える時間ができ、その時間が自分にとっては大切な時間になりました。
だから今でもアイデアがあると頭の中で考えて、形にしてイメージで作り始めます。
田中
ガトーアンリーさんの創業は今現在の場所だったんですか?また、その頃からパンとケーキを販売されていたのですか?
佐藤氏
現在のこの場所の道を挟んですぐ近くです。この場所に移ったのは私が16歳の頃です。
私で2代目ですけど、創業当時からパンとケーキを作っていました。
私には弟がいるんですけど、弟が「自分はパンをするから」と言ったもんですから、じゃ俺はケーキをするということになったんです。
弟は現在パンのお店を独立して開業しています。
田中
ガトーアンリーの名前の由来は?また、創業何年ですか?
佐藤氏
名前の由来は「ガトー」はお菓子で「アンリー」は親父が好きな画家の名前らしいんです。
たぶん「アンリ」でしょうね。創業は1975年ですので2008年で33年です。
たまに2代目になったら名前を変えたり、違う事をやるとかありますが、私は受け継ぐものは受け継いで継承していくというのが
基本にあります。
田中
佐藤シェフの代になって何年になりますか?また、オーナーになってからの想いはありますか?
佐藤氏
2008年で3年目です。
日々妻と多くのスタッフに支えられながらお菓子作りに励んでおります。
私は継続を大切に考えています。また、時代によって変化していくというのも考えています。
商品開発などは1年くらいかけて開発します。
また、うちの基本は”人”です。人が作って人が売ることなんで、人間としての成長をみんなでしょうという事、
人間力と言うか人間の向上心をつけていきたいと思います。
父は”人”を大切にする職人だったんで、私も”人”を大切に考えてやっていきたいと思っています。 |