田中
本日はよろしくお願します。
まずは、生年月日と出身地をお願いします。
また、子供の頃の好きな科目と、熱中した事はありますか?

永田氏
昭和38年2月2日生まれ。出身は佐世保市です。
小学校の頃は体育が好きでした。
趣味は釣りと切手集めが好きで、切手の図鑑を見てこの切手はどのくらいの価値があるのかを調べたり、自分が欲しい切手を友達と交換したりしてました。
釣りは川釣りや池で鮠やフナをよく釣つりに行ったりしてました。中学校や高校ではバスケット部に入ってクラブに熱中!
そんなところでしょうか。

田中
パテェシエを目指した、志したきっかけは?

永田氏

代々うちの実家は和菓子屋だったんですが、
高校までは体育の先生になりたいと思ってましたが、結局は福岡の経理専門学校に行くことにしました。
だからその時までは、気持ちの中では将来、何になるかって考えていなかったですね。

専門学校を卒業して子供服のメーカーに内定をもらって東京に行くようになっていたんですけど、それを父に報告したら反対は
しなかったんですけど、「お前が行きたければ行けばいい」と言われました。
その時、父の背中がものすごく寂しそうに感じたんですね。それを見た瞬間に跡を継いだほうがいいのかなと思いました。

田中
永田シェフのご実家は代々の和菓子屋だったんですね。

永田氏
そうですね。
私で4代目です。西海堂の創業は大正時代ですので、創業は85年くらいでしょうか。
その時に悩みましたが、自分の決断で内定を取り消して頂いて跡を継ぐ決心をし、20歳の時に修業に行くことになりました。
修業先をいろいろ考えたんですけど自分としては和菓子ではなくて洋菓子をしたくて最初は福岡の「洋菓子のコイデ」に3年、
その後、鎌倉の「レザンジュ」に3年お世話になりました。

自分としては、その後はヨーロッパに修業を希望をしていたのですが、父が病気で倒れたんです。
また、実家の菓子店の経営についても心配でしたので急遽戻る決心をしました。修業時代は無我夢中で勉強しました。
父も喜んでいて、私自身、親子でお店をする事も考えていたんですね。でも父が病気の為にそれもかなわない事となりました。

田中
修業時代のお話しや跡を継がれてからのお話をお願いします。

永田氏
今思うと、修業時代は覚えることが多くて、苦しいとか厳しいとかはい思わなかったです。
反対に楽しい事ばかりが思い出としてあります。でも、跡を継いでからが本当に大変でした。

和菓子の西海堂で通っているお店だったもんですから、本当にゼロからのスタートでした。
それまで私は和菓子の勉強はしてなくて、和菓子は作る事が出来なかったんです。
それでも自分が作ったケーキは絶対売れるという自信はありまして、ケーキを置いたんですけど全然売れなくて、売れないから、
だんだんケーキを作らなくなったんです。
それで、父の友人の方から和菓子の作り方を教えて頂きお店に置きました。

一番つらかったのは私の代になってから「味が変わった。」と昔からのお客様に言われたことでした。
和菓子中心の店でしたので、父の作り続けてきたお菓子の味を出そうとするのですがどうしても、洋菓子の個性が出てしまったんですね。

いったい自分は何しているんだろうと、長崎に戻る時に結婚もしていましたので、妻と二人でのスタートでした。
その妻も千葉県の出身で九州に来るのも住むのは初めてでしたし、お店の経営も初めてでした。

その時期の店の売り上げは材料費も出ないような有様でしたね。幸せな結婚生活が毎日が暗い生活に変わりました。
自分が情けなくて涙の出る思いで、そんな時期が5年ほど続きました。
でも、暗中模索を繰り返す中で、周りの先輩がたや 恩師のアドバイス、又、妻の心強い励ましもあって、
「本来、自分が修業してきた洋菓子で勝負してみよう。」と心が決まりました。

思い切って和菓子部門を縮小し、洋菓子を全面に出すという試みに敢えて挑戦しました。
その頃から、オーブンを入れ、ケーキのショーケースを入れ、空調設備もし、徐々に店内も自分達の手作りで洋菓子のお店にしました。
一番のきっかけは山中牧場の牛乳と出会ったことです。それを使ってシュークリームを作り始めた事です。
それが口コミで徐々に売れ始めて、その後、ロールケーキやプリンもこの牛乳で作りました。
それがお陰さまでお店の売り上げの柱になりました。
それからですね。他のケーキも売れ始めたのは・・一度は離れていったお客様もまた来て下さるようになりました。

田中

永田シェフの代になって何年になりますか?また、もみじが丘店をオープンされたのは?

永田氏
春日本店は2008年で19年ですね。2002年には「もみじが丘店」をオープンしました。

田中
菓子職人にとって大切な事は?

永田氏
まず、素直な心ですね。素直な心じゃないと結局仕事も覚えられないと思うんですよ。
素直さというのは物事に対する「誠実さ」とか「謙虚さ」とか「感謝する気持」ちがあるのが
素直な心だと思うんです。その三つがあって素直な心。

それがないと新しいお菓子も作れないと思うので、自分ひとりでは何も出来ないからですね。
回りの協力とか先輩から教えてもらうこともあるだろうし、自分の師匠から教えてもらうこともある
だろうし、また、お客様からいろいろな事を教えてもらう事もあるだろうし、

そこには素直な心がないと、美味しい、良いお菓子は作れないと思います。

田中

これから菓子職人になろうと思っている人にアドバイスがあればお願い致します。

永田氏
まずは、やってみる事です。
そして、「我慢することが一番、最大の力になる」と思います。
そこに行き着く事かなっていつも思いますね。
最初、覚える時にはなかなか覚えられないし、上から怒られたりしていくんですけど、それが当たり前と思って素直な心で受け止めて
いくならば、仕事も覚えていくと思うし、すごく成長すると思います。

最初は誰でも消化不良は起こすんですよ。
でもそれを乗り越えていかないと一人前にはならないと思います。
修業時代に「辛抱すること」、「我慢すること」は絶対に将来につながって行くと思います。


田中
本日はありがとうございました。