初見氏
テレビですね。
「料理天国」っていう当時、土曜の夕方で、大阪の辻調理師専門学校の先生が出てやっていた料理番組です。
初めて見てから、その番組をかかさず見るようになって、「ああ、こういう世界って面白いなぁ」と思ったんです。
まぁ〜はじめは憧れですね。
父親が建築大工の職人だったので、物作りに対して、見る事も、作る事も好きだったんです。
だから、スーツを着てネクタイを締めてする仕事のイメージよりも、なにか物を作る仕事のほうをやりたいなと、
小さい頃からずっと思っていました。
田中
そのころは菓子職人になりたいとは、もう考えていたのでしょうか?
初見氏
その頃は、フランス料理全体にものすごく憧れていまして、フランス料理にデザート部門もあるんですが、それ全体好きでした。
もちろんケーキを食べるのはその当時から好きでしたね。
田中
中学校、高校の頃はどうでしたか?
初見氏
ずっと、スポーツをしてました。中学の時は陸上、冬はスピードスケート。高校では空手道。
全国高校総体では団体型の競技で全国4位になったんですよ。
今でもそれは最高の思い出で、その時先生に食べさせてもらった神戸牛のステーキと六甲山の夜景は忘れられません。
その夏、大学進学は諦め、料理の道に進もうと決め、専門学校に行きました。
田中
大阪の辻調理師専門学校ですね。
初見氏
ええ。その時、いちばん気持ちにあったのはフランス料理です。それと平行してお菓子を作るのも好きでした。
専門学校としては、洋食、和食、中華、お菓子を一通りはとりあえずやるんです。
それで大阪に1年行って、その後フランス校に行きました。
そこはもう、フランス料理とフランス菓子。
休日には町に出て、とても楽しい貴重な時間を半年過ごしました。
田中
大阪校に1年間、フランス校に半年間いたんですね。
それで卒業ということになるんですか?
初見氏
そうです。卒業して、日本に帰ってきてまず働いたのが、東京のフランス料理店です。
その頃はまだ、フランス料理全般と、デザートまで含めた全体をやりたいと思っていましたから。
ただ、そこはシェフが引き抜かれて別の店に移動することになって、1年ぐらいしかいませんでした。
シェフからは「おまえたちは、ついて来るのもいいし、どこか行きたい店があったら紹介してやるぞ」と言われて、スタッフ全員移ることになったんです。その時にお菓子の専門に行きたいという事を言いまして、フランス料理店の方から16区の三嶋社長を紹介して頂いたんです。
田中
それで16区に行かれたんですね。
初見氏
はい、それが22歳の時です。
当時、私が東京にいる頃、三嶋社長が東京とか出張でよく来られていて、その時たまたま帝国ホテルに泊まっていると聞いて、紹介者の方と夜に仕事が終わってから会いに行きました。
それでお会いした時に、少しお話をさせて頂いて、後日、東京に出てくる時に群馬の両親に会いにいくからと言われて、私と三嶋社長と一緒に群馬の実家の両親に挨拶しに行って頂いて。
面接というか、親も含めた面接を16区の場合、基本とするので、わざわざ来て頂いての面接でした。
田中
なるほどですね、それで16区には何年ぐらい在籍されたのですか。
初見氏
22歳から35歳ぐらいまでいましたから‥‥13年ぐらいですね。
入社した当時はマンションの一階に16区の店舗があった頃です。
本格的にお菓子を専門に勉強するのは初めてでしたので、最初の店舗の時は10坪くらいの所で製造のスタッフが12、3人いたんです。
紹介して頂いた方から、「日本一の店だから」とは言われていたんです。
でも、本州を出る事態、初めてだったし、福岡という街を全然知らなかったので、日本一というのがどういうお菓子屋なのか、全然イメージがわいていなかったんです。
16区では一軒家を寮にして頂いて、独身の者が8人くらいはいたと思います。
田中
仕事はどうでした?また、今の新社屋になってからの方が長いんですか?
初見氏
13年間で、一通りの事は経験させて頂きました。
お店に入って始めの頃、2、3ヶ月は店頭にも出ていました。それから厨房に移らせて頂きました。
私が入社して3年くらい経った時で、25歳の時に新社屋が建ちました。
ちょうど、旧店舗の終わり頃に「探検九州」っていう1時間番組で、16区の特別番組があったんです。その番組の反響が大きく、新社屋での仕事はまだしてませんでしたが、あの時は凄いの一言でした。 |