オーディオとかも好きで、自分でスピーカーを作ったりとかすごい好きでした。
田中
高校を卒業されてからは?
市原氏
別府の「ニュードラゴン」に6年、その後はフランスに2年、それから「フランス菓子16区」に5年、その後、独立しました。
田中
結構、長い修業時代を過ごされたんですね。最初の修業の「ニュードラゴン」ですが、どうでしたか?
市原氏
そうですね。独立したのが36歳ですから長いですね。本当言うと、大分で一度、就職したんです。
和菓子の方に半年くらい居て、その当時、ニュードラゴンのお菓子がすごく美味しいと、いろんな人から聞いたりして、知り合いからニュードラゴンさんに面接出来るか聞いてくれて、それがきっかけで面接してもらい、ニュードラゴンさんで初めて洋菓子を勉強させてもらったんです。
その当時は、作るのが社長と僕だけで、4年間ほぼ2人で作ってまして、だからマンツーマンですごく勉強になりました。
あとは奥様と近所のパートさんが2人くらいいただけでした。
田中
やっぱりニュードラゴンさんは有名だったんですか?
市原氏
有名でしたね。
もう知る人ぞ知るです。今で言う隠れ家的菓子屋と言いますか。
だから口の肥えている人は知っていたんです。でもその前はかなりの人数でやっていたんですが、少し多すぎたみたいで一時期、
人を減らしていた時に僕が入ったんです。
田中
それではニュードラゴンさんで基礎を築かれたという事ですよね。
市原氏
そうです。
でも社長と僕だけだったので、最初の数ヶ月は6時くらいに上がっていました。
それから一度、新聞に出て、そこの編集長さんがお客様で、新聞に載って、もうそれから7時、8時、9時、10時、11時みたいになって、
休みもなかなか取れない時期もありました。だから、みっちり勉強させて頂きました。
田中
それからフランスに行かれたんですね。フランスに行こうと思われた理由は?また、フランスはどうでした?
市原氏
ニュードラゴンさんで3年くらい経って、いつの間にか自分はどっぷりお菓子にはまったんです。
その頃、奥様に「ヒデさん変わったね」って言われたんです。
「は?」と聞き返したら、「だって掃除が変わった」と言われて、結局、今までは丸く掃いていて、テーブルも軽く拭いていたのが、
四角く掃き出したんです。だからそれからもう毎日のように・・。
それでニュードラゴンにいるとき業界紙をいつも読んでいて、フランスの菓子屋とかの記事で出ていて、もう30年前ですから、
すごく興味を持ちまして「本物はどんなんだろう」と。
そして、ニュードラゴンを辞める1年前に1年後に行きたいという事で、1年間フランス語をベルギーの方に習いに行って、コツコツ給料貯めて、
その頃、全然知り合いでもなかったんですが、フランス菓子16区の三嶋オーナーに手紙を書いて、3回程、相談に行っているんです。
フランスに行きたくなった時に、フランスに行ったことのある人に話を聞きたくて、16区の三嶋オーナーの事を本とかで知っていたからですね。
僕がフランスに行ったのが28歳の時なので、16区ができて4年目くらいの頃です。
そしたら色々電話番号とかも調べてムッシュがわざわざ電話して来てくれて、「いつ来てもいいけど連絡してからじゃないと自分も出ている時があるから」と、電話を頂いて、それから相談に行きました。
色んな事情を聞いて、ムッシュがニースのお店に紹介状を書いてくれたんです。
僕がフランスに行ったのが8月で「その時期はバカンスで閉まっているぞ」と言われて、行ったら案の定閉まっていました。
そしてニースの隣町に日本に講習で来ていた人がいるのを思い出しまして、まだフランス語が話せないので辞書引きながら手紙を書いて、
そこでまず1年働きました。
行く前はムッシュから、「レシピがどうとか、そこまでたいした物はないぞ」と、もう日本にはたくさんの諸先輩が行って帰って来ているから、
「ただ食べて来い。それと歴史とか文化とかそういうものを感じて来い」と、つまりフランスの空気をいっぱい感じて来いと言われました。
最初は「俺の立てた生クリームをフランス人が食べたー!」みたいな感動はありましたよ。
あと糸を引くような甘いシロップとかもありました。
田中
感覚的には日本とは違いますか?
市原氏
全然違いますね。
仕事の流れから扱うものから、向こうではクロワッサンとかも当たり前に作っています。
苺なんかも本当に少しの季節しか使わないんですよ。
フランスに着いてすぐに「ピスタチオのアイスクリーム」を食べたんですけどめちゃくちゃ美味しかったですね。
やっぱり食べ物は美味しいなーって思いました。
20代になって日本ではトマトは美味しくないと思って嫌いになったんですけど、フランスに行ってトマトが好きになりました。
美味しかったですね。全然違います。
素材としては、僕がいたのが20年近く前で、フランスではその季節のフルーツをふんだんに使っていました。
焼き菓子の焼き色にもビックリしたし、もう「焦げてるじゃないか!」というほど焼いていたり、アーモンドはよく焼かないと香りが出ないとか、
ことフレッシュフルーツに関してはその時期その時期の物しか使っていかないというやり方です。
だからフランスに行って基本が見えました。
手作りの部分だとか、もちろん全部じゃないですけど、本当にお菓子作りの基本がすごく分かりました。
とにかくお菓子作りに手間を掛けていたんです。
田中
フランス語はどうでした?
市原氏
フランス語は半年経ってから急に耳に入りました。
一応、1年間、文法習ってからフランスに行ったので、行った時は全然ですよ。本当に。
どこ行ってもそうなんですが、研修を含め4件行ったんですけど、必ず1件にひとりは優しいやつがいましたね。
粉を広げてフランス語の綴りを書いてくれたり、それでだいたい分かるんです。
英語と近い言葉なので、優しくて色々教えてくれる人がどこに行ってもいました。
それで半年位から聞いて大体分かるようになって、2年後帰る頃には仕事場ではまったくフランス語で不自由はなかったです。
ただ、食事とかで職場とは違う単語や文章での話しになると、もう分からないですけどね。 |